救世主は何処に現れる 第一話

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救世主は何処に現れる 第一話

 初夏のある昼、『自称不幸な青年』がその肩をすっかり落として、とぼとぼと狭い通りを行き過ぎていく。さしたる目的はなさそうだ。彼にいわせれば、不愉快この上ないだろうが、熱気を帯びた人々の喧騒の間を、前方を塞がれるたびに不機嫌な仕草でそれを押しのけて、時々肩を擦り付け合い、少しずつでも進んでいく他はなかった。芋洗いのようなこの場で、長大な隊列に属する、誰かひとりでも躓けば、負傷者続出の大事故は避けられないだろう。このような危険地帯を作り出してまでも、大勢の人を一か所に集めたいと思うのだから、祭りとは常に狂気である。本人たちが参加を希望している限り、正気でも狂気でも構わないのだが、何らかの形で救ってくれる人が現れない限り、それに参加すらできない社会的弱者とは常に孤独である。  もちろん、大衆の多くは常識をきちんと持ち合わせているのだろう。彼らは貴重な余暇を棒に振ってまで、遊歩道の清掃をしたり、公園で遊ぶ子供たちの身の安全を見守ったり、環境や平和を守るための運動を展開したりする。これらは必ずしも自己の利益になるわけではない。対価として、その行為に応じた金銭が支払われるわけでもない。彼らは数十年後、あるいは、数百年後の未来に生きる人々のために、こうした「もっとも前向きな模範作り」を行うのである。その美しい振る舞いの積み重ねが、社会の陰に潜む、ろくでもない人種の禍々しい黒さを、少しずつでも薄めていくはずである。  学生街でもあるこの界隈には、常にごった返している若者を目当てに、多くの喫茶店が立ち並んでいる。行き場のないこの青年は、その中の一番飾り気のない、悪くいえば、すすけた外観の店舗を選んで入っていった。彼がこの店を選んだことには、彼なりの理由がある。その年期の入った店内には、ひとり寂しく、転職雑誌をめくる三十代と思しき幸薄そうな女性と、もっと寂しそうに首と背を丸めながら、競馬新聞に目を通す、老年の白髪の男性が、もう数時間にわたり居座っていた。老人は見た感じでは年金受給者に思えるが、女性は明らかに働き盛りであり、今日は骨休めであろう。あるいは人生の節目に差し掛かり、転職や離職を考えているのかもしれない。その薄暗い表情は、その未来探し雑誌の中に、微かな希望すら感じているようには見えない。二人とも離れた席に、いかにも関連のなさそうに、ぽつんぽつんと座っている。  この店には、『元フレンチシェフお手製のチーズケーキ』のような、シャレたネームのメニューは、どこにもない。ここでしか食べられない、ローマスタイルの手打ち麵パスタもない。おそらく、焙煎仕立てのマンデリンでさえも、味わえないのであろう。それなら、アールグレイにもさしたる期待はできないので、「ホットティー、プリーズ」と頼むと、不愛想な店員は常に無言で、砂糖もミルクも付けてこない。各テーブルの上には、オシャレな黒猫の紋章入りナプキンも置いていない。いつ訪れても、店内の床はうす汚れている。腰を曲げてよく見れば、小さな羽虫が多数這いまわっている。二日に一度の掃除すらも、実施されているのか疑問である。スタッフの数も質もまったく足りていないように感じられるが、スタッフ募集の広告を出す気配もない。そもそも、店長がどんな人種で、どんな姿をした御仁なのかも分からない。常連の客という概念がないので、情報が余りに少ない。祝日の昼間になると、昼休みに入った学生たちが街にあふれ出し、他の店には長蛇の列ができているが、この店だけは見事に閑古鳥が鳴いている。多くの町民は、「何で、この不況の最中、あの店は潰れてしまわないんだろう?」と不思議そうに首を傾げている。  それでも、彼は躊躇なく店内に踏み込む。案の定、スタッフからは何のかけ声もない。カビの生え揃った天井や窓の汚れや何の案内も貼られていない殺風景な店内の壁を、じっくりと眺めまわすと、不幸な二人の客から、もっとも離れた奥の席に陣取り、そのふたりの視線になるべく入らないような角度で席に着いた。しかし、その態勢になってから十分ほど待ってみても、誰も注文を聞きに来ない。若い女性特有の活気ある笑い声など、どこからも聴こえない。重要な商談に勤しむサラリーマンたちの姿もない。好景気に転じそうな可能性もまったく感じない。つまり、ここには幸福感が漂っていない。  もし、デパートでの買い物帰りの家族連れ、それも、おもちゃやアニメ絵本を手にした子供たちが、両親の手を引っ張りまわし、口の周りに甘ったるいクリームをたっぷりとつけて、店内を所狭しとはしゃぎ回り、母親も周囲の客のことなど意に介さぬように、「ほらほら、そっちは!」などと、わざわざ掛け声を合わせながら、楽しそうに追いかけ回しているとしたら……。その隣りのテーブルでは、ありったけの熱意をもって向き合う学校帰りのカップル。自分たちが注文したはずのイタリアンなど、ほとんど気にも留めぬように、それがすっかり冷めてしまっても、互いの手をひしと握り締め、意味もなく見つめ合い、それで何を表現したいのかは知らぬが、愛の言葉(そんなものの定義が私に通用するのであれば)をまくし立てて、自分らだけの気分をさらに盛り上げていく。ええい、知ったことか! どうせ、お前らもあと五年後には不景気の波に飲まれ、リストラ、永遠の職探し、その上、一家離散、あんな軽薄なカップルは、あと一年も持たずに、おそらくは男の方から堂々と二股に走り、激しい紛争の後、ケンカ別れだ。ああ、それを思うと、ようやくせいせいする。彼はそこでいくらか気分を良くしたが、妄想を止めることはなかなか難しい。それからしばらくは、この店内にはまったく存在していないはずの、恋人たちによるやり取りから派生する己の幻想に足を捕らわれ、その沼から抜け出しにくくなっていた。  そして、およそ人の目には捉えようもない、空想上の敵を鷹の目で鋭く威嚇してみせてから、それだけでは飽き足らず、両腕をぶるんぶるんと力いっぱい廻してみせた。そのうちに、どうにも我慢ならなくなったので「まったく、どいつもこいつも、バカ野郎が!」と、一日の疲れで熟睡中の労働者さえも飛び起きそうな音量で、ひと声叫んでみせた。奥の競馬予想家はその大音量に、ピクリとも動かなかった。もしかすると、生まれつきどちらかの耳が不自由なのかもしれない。その手前に座っている職探し中と思しきアラサー女性も、さしたる反応を見せなかった。あるいは、今現在、目を通しているページの上に、よほど良い案件が載っているのかもしれない。  周囲の人は彼のことを統合失調症患者とか、妄想癖とかいう言葉で安易に片付けようとしたがるが、彼自身はその症状を病気だと認めたことは一度もなかった。これまでの半生で、どれほど多くの奇態を演じていたとしてもである。「自分は優秀な大学を卒業している」「難しい書物や雑誌記事を幾度となく読みこなした経験がある」「自分よりもおかしい主張をする人間は他にたくさんいる」という持論により、すべての決めつけを跳ね返すつもりで構えていた。七十年か八十年に及ぶ、そこそこの長さの人生航路を、ひとりの理解者もなく、どんなお節介な忠告にも耳を貸さずに突き進んでいけるのならば、たとえ、病や敵は多くても、一向に構わないのである。しかし、大抵の場合、人生は一寸先は闇、一歩踏み間違えて断崖絶壁、ギャンブルの末路は闇金融と相場が決まっている。そうした大きな障害を自分の才覚や手腕や判断力で解決しえないのであれば、当然、そこには良き理解者が必要となる。  人生は脳みその真ん中に自分の手で銃弾をぶち込まない限りは、次々と湧き起こる難題の解決策探しに翻弄することになる。「心を無にする」などという都合の良い慣用句は、よほどのアルコール量の力を借りなければ、起こり得ないのである。よって、生きている間は、恋人や親友や借金取り以上に、苦悩や失望やぶつけどころのない怒りに翻弄されることになる。それは、言うまでもなく、自分に対する期待が大きすぎたためである。そして、大抵の場合、生まれや育ちに恵まれない苦労人には、その周囲に手助けしてくれる理解者がいる確率は、きわめて少ない。人生は短いが悩みと失望は当事者よりずっと長生きする。故人の遺体は最新の哲学や物理学を信じるならば、火葬場で灰燼に帰して、そのまま無と化すらしい。しかし、最悪の不幸たちは現世に残されて亡霊となり、故人と親交のあった友人同僚や残された親族などにまとわりついていくのだ。ひとりの人間が清算できずに置いていくお荷物は、それがどんな形をとっているにせよ、そう簡単には処理できず、親族たちまで滅びて行き場がなくなると、さらに厄介な形に変貌していく。自死を選ぶのは勝手だが、「勝負に敗れたため、我が命を絶って精算させて頂きます」などと、そんなお気楽をよく言えたものである。  今、喫茶店に踏み込んできた、この青年の深い悩みは、本人の思考に解決不能という憶測を呼び込み、さらに大きな黒い妄想となって暴れていた。もはや、この街に住む、いかなる賢人であろうとも、この万策尽きた落ちこぼれを救うことはできまいと思われた。しかし、彼がふと窓の外へ目を向けると、人混みで息切れしそうな雑踏を、ふらふらと歩んでくる見慣れた人影。それは、彼よりは遥かに恵まれた人生を送っているくせに、やたらと幸薄そうな老年の姿を借りていたのである。その男性は、まるで、持って生まれたかのような温かい笑みを浮かべている。人生が最底辺にいるときに会いたい人ではないが、一度目を合わせてしまった気がした。すぐに視線を逸らして、ウエイターがようやく運んできたコーヒーに震える手でミルクを注ぐ。あの人の面倒見の良さは異常な部類だが、よもや、つい最近になって引き起こされた、自分の散々な状態を、人聞きで知っているとも思えなかった。他人の不幸話を聞いて回るような御仁ではないからだ。  その老人は、わざとらしく、店の外の立て看板を眺めている。この店の外観に目を止めたのは、あくまでも偶然であると、そう主張したいかのようだ。彼はおそらく、こちらの姿をどこかの角で見とめて、いくらか思いを巡らせた後、ここまで追ってきたのだろう。お節介という概念はすでに通り越しているが、いつも、こちらを気にかけてくれる気持ちはありがたい。ただ、今の状況は出来ることなら誰にも説明したくない。こんな自分にも、あと少しのプライドは存在した。窓の外から店内を覗き込み、隅に座っている私の姿を見つけて、今頃、店のドアをゆっくり開けて、動きの悪い野良犬を装って、のっそりと入ってきた頃合いかもしれない。もし、自分の席の傍まで寄ってくる気配がしたなら、どう反応しようか……? が、青年がそこまで考えたとき、そのテーブル全体が、がたっと揺らいで、目の前にひとりの老人が腰かけた。 「いや、つい先日のことだが、すぐそこの通りで、君の嫁さんとすれ違ったのでね……。薄暗い表情をしていたので声をかけそびれたわけだ……。おそらく、思いに沈んでいて、こちらに気づかなかったのだろう。そのとき、ふと、君のことが気になってな……」
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