プロローグ

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「俺」は観客の波の中にいた。周囲の熱に浮かされて、雨の強さは全く気にならなかった。 ただ視界を遮られるのは邪魔だった。キャップの鍔を伝って垂れる、ちょっとした滝も鬱陶しい。 何度も鍔を手で拭い、「俺」は食い入るようにステージを見つめていた。 ステージの中心にいるのは、ギターをかき鳴らす男。 彼の奏でる歌声は美しく、紡ぐメロディは儚く、脈打つようなリズムは心地よく、「俺」は彼の作るこの空間が好きだと思った。 ずっとここにいたいと思った。彼の想いをもっと汲み取りたいと思った。 けれどなぜか、どんなに耳を傾けても、彼が歌う歌詞が聞き取れない。 周囲が腕を上げ、リズムに合わせて左右に振り始めた。けれど「俺」は何もできなかった。 金縛りにあったように突っ立って、ただわけのわからない衝動と闘い、拳を硬くするだけ。 音楽はもっと自由なはずだ。なんでこんなに苦しいんだろう。なんでこんなに、思うように動けないんだろう。 彼の曲紹介のMCも、言葉が理解できない。駆け出して近づきたい。ステージに登って彼に伝えたいことがたくさんある。 なんで? なんで「俺」はここで、彼を見ているだけなんだろう? 曲が始まる。熱狂する観客たち。棒立ちの俺。彼は楽しそうに歌いはしゃぎ、土砂降りの曇天を見上げて笑う。 ラスサビ前のCメロで、彼は高音を切なげに歌い上げた。 その美しく強いエネルギーに導かれるように、突如、落雷が彼を襲った。 光と音の爆発。空気と足元が震えて崩れる。 強く目を閉じたその瞬間、目が覚めた。 自室の天井を呆然と見つめながら思ったことは、彼にもう一度会いたい、だった。
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