94人が本棚に入れています
本棚に追加
プロローグ
八月。苗場。グリーンステージ。
夏の風物詩、大型野外音楽フェスの二日目はあいにくの曇天で始まり、午後二時を過ぎて小雨がパラつき始めた。
主催は複数箇所で雨具を売り、観客はそれを横目に「濡れてもいいや、気持ちいいし」と笑う。フェス会場の熱気は雨如きで落ち着くはずもなく、むしろ荒天であればあるほど盛り上がるものだ。
朝9時から夜21時まで、雄大な自然と大きな空の下、大小五つのステージで鳴り響く極上の音楽たち。
寄せては集い、引いて離れてまた集い、人の波は音楽に導かれて広い会場を絶えず流れる。
一つのステージに集まった群衆は、同じタイミングで手を上げ、声を上げ、音の海の中で快楽に溺れる。
その中心にバンドがいる。アーティストがいる。彼らが震わせた空気は、そこに集う人々の五感を通って魂をも震わせる。
フェスは、会場そのものに麻酔のような効果がある。
その場にいるだけで非日常に酔い、普段気になることも気をつけていることも、意識の外に追いやられる。
音楽という麻薬によって気持ちも大きくなる。今ならなんでも出来る気がしてしまう。この世界に怖いものなんかないと思えてしまう。
雨足が強くなってきても、観客の数は一向に減らない。雨ガッパを羽織る人が増えるだけで、その熱は変わらずステージへ注がれ続ける。
5組目のステージが始まる頃、雨は土砂降りになっていた。
観客は頭から爪先まで濡れそぼりながら、それでも音の海に留まり歌い、踊り、笑って手をあげた。
機材さえ守られればフェスは続く。音楽が鳴る限り熱は冷めない。
年に一度の夏フェスだ。雨風嵐がなんだ。
音楽を止めてはいけない。来年の夏はまだ先だ。今年の夏にやりたいことを、やり切るまで。
その日、主催はライブ中断の判断を下すのが少し遅かった。
最初のコメントを投稿しよう!