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自分は音楽を「聴いて欲しい」からやっているのか?
違う。「歌って欲しいから」やっている。
ライブで一緒に歌う観客の楽しそうな笑顔に、何度パワーをもらったかわからない。
意味のない言葉たちでも歌詞があれば「歌ってくれる」のだ。
その姿が見たいから、幸助は作詞を諦めるわけにはいかない。
今こそ踏ん張りどきなのだ。Pinkertonをここで止めるわけにはいかない。
一度閉じた扉を再びこじ開けるには相当のパワーが必要だ。
音楽が間違っていない事はレコード会社からもお墨付きをもらった。
後はただ、自分の言葉を音に乗せて歌うだけ。
たったそれだけで道が拓けるんだ。
居酒屋の看板の脇に突っ立って、幸助はぼんやりと宙をみていた。
気持ちを奮い立たせようとする言葉の数々は、しかし幸助の体を動かすまでにはいかない。
肌寒さで強ばった両足は根を張ったようにそこに立ち尽くした。
店にも戻れず帰ることも叶わず、途方にくれる幸助の頭には、待ってましたとばかりに新しいメロディが浮かぶ。
それにコードを当て嵌めながら、幸助はスマホを取り出し口ずさんだ。
鼻歌で紡いだマイナーコードの短いフレーズ。ここにギターがあればもう少し膨らませたのに、と思ったところで、背後の足音に気付く。
「悪い、邪魔したか」
振り返ると、佑賢が足を止めた。
幸助はスマホを下ろし「もう終わった」と首を振った。
佑賢は案の定何も言わないので、空気を誤魔化すように続けておちゃらけてみる。
「こんな時こんな場所でも作曲は出来んだよなぁ、天才だから」
並び立った佑賢は小さく笑ってから頷いた。
「うん。お前は間違いなく天才だよ。作曲も、作詞も」
調子に乗るなと突っ込んで欲しかったのに、佑賢は真面目な顔で幸助を見た。反射的に顔を背けた幸助の左耳に、痛いほど視線を感じる。
「俺は忘れてないよ。初めてギター抱えたお前と鉢合わせした時、即興で歌ってくれたお前の歌詞は最高だった。拙いけど、飾らない真っ直ぐな言葉でさ」
「……覚えてねぇよそんなん」
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