第一部・3 世界の色が変わった日

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そんな人間が何故今目の前にいるのか。 信じられない気持ちを拭えないまま、佑賢の説明を右から左に流し生ぬるい相槌を打つことしかできない。 まず八坂櫂が吉祥寺のファミレスに居るということも驚きだが、そんな彼が今日から自分の作詞の講師になる、ということも全くもって飲み込めずにいる。 ALLTERRAの八坂櫂が、自分のために時間を割いてここにいる。 彼は何を考えているのだろう。 まだデビューしてから二年とはいえ、アニメ主題歌2本のタイアップやシングル3作連続トップ10入りを果たした彼らは、もうすっかり名の知れた有名アーティストだ。 ビジュアルと泣ける歌詞が若い女性にウケて、最近では音楽雑誌だけでなく女性誌にインタビューとグラビアが載るような人気ぶりと聞く。 どうせ人気アイドルと熱愛してるんだろう、なんて捻くれた感情さえ湧いてきて、つい視線が彼の指に落ちた。 テーブルに投げ出された両手に指輪などのアクセサリーはなく、短く切り揃えられた爪はツヤツヤと光を放っている。 佑賢のやつ、一体どんな手を使って彼と繋がり、どんな条件を提示して今日をセッティングしたのだろう。 よほどの高額を提示したのか、はたまた何か別の取引があったのか。 そもそも八坂櫂が俺らみたいな無名インディーズバンドの作詞をサポートする利点がないのに、よく説得できたよなと首を傾げてしまう。 佑賢お得意の法学部仕込みの交渉術は、こんなことまでできてしまうのか。 名前を呼ばれて生返事をしながら、幸助の意識は隣の佑賢へ舵を切った。 こんな大物を連れてくるなんて、一昨日の飲み屋で席を外していた間にどんな会話があったのかと思いを馳せずにはいられない。 佑賢に聞いても教えてくれないだろうから、今度ゴンを買収して聞き出そう。なんて考えていたら、佑賢に肩を叩かれた。 「幸助、聞いてるか?」
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