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9
意識が覚醒すると同時に身体中に酷い痛みが走る。
つまりオレはまだ生きているということだ。瞼を上げるのも苦痛なオレはとりあえず、うぅ、と唸ってみる。
「兄さん? 気がついた?」
鉛のように重い瞼を開けると、今にも泣き出しそうなクレアの顔が視界に飛び込んでくる。
「レイチェル! オレのレイチェルは無事か?」
「目覚めて第一声が猫のこと? あのかわいい猫なら私が面倒見てるわよ」
クレアは呆れながら言った。オレは心の底から安堵し、自分が生きていることをようやく認識する
「なんでオレは生きてるんだ? フリーウェイに落ちたんだぞ。まず車に轢かれてその後、後続車に轢かれまくってミンチになってるはずだろう」
身体中は包帯まみれだが、よく見るとちゃんと手も足もついている。一体どんな奇跡が起きたのか。
「それがね、兄さんが落ちたのが丁度トラックの荷台の上だったのよ。所々骨折はしてるけど命に別状はないってドクターが言ってたわ」
「運がいいんだか、悪いんだか」
オレはベッドに全身を預け脱力する。
「兄さんは一週間寝てたけど、ここの支払いはミスタードミニクが肩代わりしてくれたわ」
一週間も寝ていたとう事実に軽く衝撃を受けつつ、オレは初めて耳にする名前に疑問を覚えた。
「ミスタードミニク? 誰だ?」
「兄さんがフリーウェイで助けた男の人よ。あの後、事業がうまく回り出して、家族も戻ってきたらしいわよ。良かったわね。命を賭けてまで助けた甲斐があったじゃない」
たった一週間でそこまでことがあったのか。やはり人間、やる気になればなんでもできるじゃないか。痛い思いもたまにはするもんだ。いや嘘だ。痛い思いはなるべくしたくない。痛いの嫌い。痛い泣きそう。
オレはミスタードミニクの顛末を聞いて満足し、することもないので、再び眠ろうと眼を閉じる。何故かとてつもなく眠かった。
「ガブリエル」
聞き覚えのある声、それもついさっき耳にした声がオレの耳に届く。オレは反射的に眼を開き、身体を起こした。そこには電動車椅子に座った初老の女性がいた。病魔に侵されているのだろう。手も足も枯れ木みたいに細い。しかし、その眼差しは、優しく慈愛に満ちた眼差しは、走馬灯の中のママと全く変わっていなかった。
「ママ……」オレは無意識にそう呟いていた。
「兄さん、ママのこと思い出したの?」
クレアは驚いた様子で言った。
「さっき走馬灯の中で会ってきた」オレは言う。クレアは、なに言ってるのこの馬鹿。といった顔をする。
「ガブリエル、ごめんねずっと迎えに行けなくて。私、私……」
ママはがりがりに痩せてしまった手でオレの手を握る。謝罪の言葉を口にしようとしていたが、いざその場になるとうまく言葉にできないみたいだった。なにも言わなくていい。その気持ちを込めてオレはママの手を強く握り返した。その意図が伝わったのかママの眼からは大粒の涙が溢れ出した。
「いいよ。ママにだって色んな事情があったんだろ? もうなにも気にしてないよ」
この言葉はオレの本心だった。オレはママを赦した。
走馬灯を見て感じた。ママへの愛は確かに本物だった。そして、今、ママに会った時に感じた感情も確かに愛情だった。オレは今でも彼女を愛している。
忘れていたわけじゃなかった。オレはずっと習慣でママへの愛情を覚えていた。
「ガブリエルブレンドが飲みたい」
オレは呟くように言った。ママはよく覚えてたわねと嬉しそうに笑うと、ゆっくりとガブリエルブレンドを淹れてくれた。
「いい知らせと悪い知らせがある。どっちから聞きたい?」
オレはガブリエルブレンドを飲みながら言った。
クレアは、やっぱり不味いわこれ。と言いながらマグを置き「じゃあ良い方から」と言った。
「子どもの頃の記憶が戻った」オレは言う。
「ほんとに? じゃあ小説の方も在り処もわかったの?」と、クレアとママの眼の色が変わる。その顔を見た後に悪い知らせをするのは正直心が痛んだが、まあ仕方ない。事実は変わらないのだ。
「それが悪い知らせだ。小説はオレが全て燃やしていた。オレの書いた小説はもうこの世に存在しない」
「そう、残念ね」
ママに明らかに落胆の色が浮かぶ。しかし、ここでオレは考えておいたアイデアを提案する。
「そこでプランEだ」
「プランE? なによそれ」
クレアが驚いた反応を示す。当然だ。オレもつい五分前に思い付いたプランだ。しかし、かなり冴えたプランだと思っている。
「オレの書いた小説は燃えてしまったけど、オレが今まで経験してきた日常を話すよ」
「日常?」
「事実は小説より奇なりってね。ほらオレの職業は?」
オレは得意気に言う。クレアとママは顔を見合わせて、笑いながら言った。
「探偵!」
「正解! 探偵の日常はそこそこ面白いぞ?」
包帯まみれでベッドに横になるオレは語り出す。少しカッコ悪いが、家族にカッコつけても意味はない。これからオレはママとクレアとたくさん話し、失った、自ら捨てた時間を少しずつ埋めて行くのだ。時間は有限、いつかは必ず終わるのだ。しかしそれは悪いことではないはずだ。終わるのを含めて人生なのだから。
人生はなにが起こるかわからない。それが人間の少し不思議で当たり前な日常だ。
オレは無意識に、子どもの頃書いていた小説のタイトルを口にした。
「名探偵ガブリエルの大冒険」
オーライ、なにから話そうか。
END
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