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「ソチャですが」 「なに? ソチャって」 「ジャパンでは客に飲み物を出すときにそう言うらしい。オレはジャパンのカルチャーが好きなんだ」  オレは美女をソファに案内すると、上半身ジバンシィ、下半身ジャージと言った奇妙な格好でガブリエルブレンドを差し出す。 「ふうん。ところでここはアシェット探偵事務所であってるのかしら? 変態の巣ではなく」 「はっはっはっ。さっきのはちょっとしたトラブルですよお嬢さん。正真正銘ここはアシェット探偵事務所です」 「クレア」 「は?」 「私の名前よ。クレア・アバンゲール。お嬢さんじゃないわ」 「ソーリー。ではミスクレア、今日はどういったご用件で」 「依頼に決まってるでしょ。まさかあなたのデリンジャーを見に来たとでも?」  クレアはスラリと伸びた足を組み、タバコに火を点ける。  クレアは身体のラインにぴったりとそった真っ赤なワンピースに、同じ色のつば広帽に高いヒールといった出立ちだった。  彼女の姿を見てオレの探偵の勘が告げる。  この女は金持ちだ。  といってもそんなことで言葉が態度が特別変わるわけではない。依頼人を選ぶなんざ探偵失格だ。いつからかは忘れたがこれはオレの探偵としての大事なポリシーだった。 「では、ミスクレア、今日はどういった依頼があってここへ?」 「あなたに探して欲しいものがあるの」  と、言ったミスクレアはマグに口をつけた。瞬間、口に含んだコーヒーをオレの顔、および上半身に吹きかけた。 「なにこれ、薄すぎ。こんなのコーヒーじゃなくてただのコーヒー風味のお湯じゃない。てゆうか、よく見たら透けてるじゃないの。あなたコーヒーすらまともに淹れられないの?」  ミスクレアは激怒した。邪智暴虐の王なぞ瞬殺できそうな勢いで激怒した。別にオレはコーヒーを淹れるのが下手ではない。ただちょっとド下手なだけだ。と、言い返そうと思ったが止めた。嘘だ。結局オレは言い返した。しばらくオレとミスクレアは聞くに耐えない口喧嘩を繰り広げた。一つ言い訳するが、普段のオレはコーヒーを馬鹿にされたところで言い返したりしない。しかし今回言い返してしまったのは、ミスクレアの顔はオレの勘に酷く障ったのだ。初めて会う上に美人なのに何故だろう。美人は大抵好きなのに。と、犬も食わないゴミみたいな口喧嘩をしながらオレは思った。  閑話休題 「それで? 依頼というのは?」 「あなたにある本を探して欲しいの」  オレもミスクレアもかなり不機嫌になっていたが、何故か彼女はこの場から立ち去らず、事務所に居座り続け、依頼内容を口にする。 「本?」 「そう。本」 「どんな?」 「知らないわ」 「タイトルは?」 「知らないわ」 「出版年や著者名は?」 「知らないわ」 「ヘイ、ミスクレア、さっきのコーヒーのことでまだ怒ってるなら謝る。だからもう少し情報をくれないか? ただ本てだけじゃ情報が無さ過ぎる」  上下ジャージ姿のオレは肩を竦めながらクレアに言う。 「だって本当に知らないのだもの。それにあなた探偵でしょ。それくらい探して見せなさいよ」 「ふざけているのか? だとしたらそんな依頼引き受けられないな」  オレがソファから立ち上がろうとすると、音もなくデスクに三万ドルが印字された小切手が置かれる。 「これは前金。成功すれば更に三万ドル払うわ。これで少しは本気度が伝わったかしら?」 「たかが本にどうしてここまで……」  オレはソファに腰を戻した。 「私の依頼人にとってはたかがじゃないの。本気でその本を欲しがってるのよ。それこそ死ぬほどね」  ミスクレアの声色は平坦だったが、どこか強い意志を感じさせた。 「何故その依頼人が直接依頼に来ない?」 「私にも守秘義務があるのよ。それでどうするの? 家賃にも困ってる貧乏探偵さん」  サングラスの隙間から綺麗なブルーの瞳が見える。そこにはありありと挑発の色が浮かんでいた。 「わかった。この依頼受けよう。家賃に困ってるのは本当だしな」  と言ってオレは小切手をデスクから取り上げる。 「欲望に忠実な男は好きよ。くだらない言い訳を訊かずに済む」  と言ってミスクレアは満足そうにソファから立ち上がり、レイチェルをひと撫ですると、テーブルに名刺を置いた。 「本を見つけたらそこに連絡をちょうだい」  名刺にはミスクレアの名前と電話番号が手書きで書かれていた。 「そうだ。この言葉だけは依頼人に許可されていたわ」と、言いながらミスクレアは振り向きざまに言った。その口元には微かな笑みが宿っていた。 「あなたが探すのは、あなたの本よ」 「はあ? オレの本?」 「言い忘れてたけど、期限は三日よ。頑張ってね、探偵さん」  オレの質問を受け付ける気などないといった様子でドアがバタンと閉まる。彼女、期限は三日って言った?  オレは大きく息を吸うと、心の底から叫んだ。 「短すぎだろ!」  再びオレの声にビビったレイチェルが事務所中を暴走し、オレのお気に入りのマグを机から落として叩き割った。マイガッ。
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