1人が本棚に入れています
本棚に追加
第二話 さっぱりわかりません
私には定期的に会っている人がいる。
頭が切れる人で、ついでに言うと会社の肩書きも悪くない。
話好きで、いつもさりげなく優しくしてくれ、腰の周りに腕を回されてもいやらしさを感じせないタイプだ。
肉体関係だけの話ではないのだが、私の求めには大抵応じてくれ、陶酔感を味わわせてくれる。
迷いのない目をしている彼は日程が埋まっていることが多く、気が付くといつも私に背を向けてネクタイを直している。
移動手段はもっぱらタクシーが多く、セックスの後はいつも消耗しきっている。
この人は仕事に没頭するあまり、いつか自ら死を選んだりしないだろうかと心配してしまうことがある。
もしくは過労のため体を壊して急死したりするのではなかろうか。
私はこの人の肌の匂いがなんともいえず好きなので、彼の死後にその匂いをうっすらでも思い出せるだろうかなどと考えたりする。
「津田さんぐらいの歳だったら肥満を心配したりするんじゃないの?」
すると津田さんは笑みを浮かべて俺には関係のない話だと言った。
そういえば以前毎日筋トレをするのが日課だと言っているのを聞いたことがある。
私と違って時間のやりくりが上手いのだろう。
「今度の出張先ってどこ?」
「上海」
「ふーん」
私の気の抜けた返事に対して津田さんは歯を見せて笑った。
「全然寂しそうじゃないな」
彼の笑う顔を見て、おおらかな人だなあと思った。
「寂しいよー。お願いだから早く帰ってきてとか言えばいいの?甘えた声で」
そういうのは子犬のような娘が濡れた瞳で言ってくれるとありがたいねと言うと、津田さんは近いうちにまた連絡するからとホテルを後にした。
歩きたばこをしている学生が前方に歩いているので、目を凝らしてみると守の弟の崇だった。
私の弟と同じ年齢なので彼はまだ中学三年生である。
道端にポイ捨てをして、ろくに消しもしないので背後から声をかけた。
「ちょっとー、この近所でボヤをだすことになるわよ」
崇は振り返って声の主が私だとわかるとご忠告ありがとうと言った。
「前から思ってたんだけど、華って何でそんなに声低いの?ニューハーフの人に声かけられたのかと思っちゃったよ」
テンションの低い声色で崇がぼそりと言う。
「失礼ね。これがまたセクシーなのよ。普通の女がこんな声になるには長い年月がかかるわよ」
実のところ気にしていたので少しへこんだ。
守と崇の父親が子どもの頃にうちの父親にいじめられていたことを今でも引きずり、復讐を誓ったことを私に教えてくれたのは崇である。
次々に起こる嫌がらせに降伏しないで済んだのは彼のおかげであり、次に起こることがある程度は予測できたのだ。
崇は自分の父親のことを考え方が後ろ向きだと言って、心が病んでいる可哀そうな人だと哀れんでいる。
「うちの父さん、この間もカーテンの隙間からお宅を見続けてたよ」
確かに彼らの家の方からたまに誰かに見られているという感覚を覚えることがある。
「うちの父親も恨まれたもんだねえ。もう時効だと思うけど」
私がそう言うと、崇は華の家の中なんて観察する価値ないよねと言った。
家の前に着くと、崇の家の表札の前には私よりも十歳は年上であろう、キレイな女性が立っていた。
見覚えのない女性だなと思っていると、崇がどうも、と彼女に会釈をするので、彼の顔見知りかなと不思議に思った。
「兄貴の彼女だよ」
崇がさらっと言うので思わず腰を抜かしそうになった。
女性向けのファッション雑誌の表紙を飾りそうな風貌をしたその彼女は、この家の人を待ちわびたという顔をして崇に声をかけてきた。
「崇くん!」
横にいる私には目もくれないので、何やら言葉を交わしている彼らをちらりと視界に入れながらも私はその場から渋々姿を消すことにした。
家に入ると合点がいかないという顔つきの私を見て、弟の俊介が大浦ん家の前にいたあのギャルは誰だと質問してくるので、ギャルっていうのは品が無い若い女のことをいうのよと言った。
弟の俊介は崇と同じ公立中学の同じクラスにもかかわらず、違うグループに属している。
下ネタや女の子のことで頭がいっぱいなうちの弟と違って、崇は口は悪いが優等生タイプだからだと思う。
「あの人、守の彼女なんだってさ」
「マジかよ!どうやって口説いたんだろう」
守にはそういう、恋愛の駆け引きなどはどんなに手を尽くしてもできないと思う。
「いいなあ。俺もあんな人を独占してみたいよ~」
単純に羨ましがる弟を横目に、私は何か心に引っかかると思った。
最初のコメントを投稿しよう!