Side 拓海  Dream

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こうして俺たち、ジュピターの活動は18にして活動を東京に移した。 まずは、1つのライブハウスに、5,6バンドが持ち時間30分で交代する『対バン』というやつで認知度をあげようとした。 パンフにアドレスやQRコードを貼って、SNSに繋がれるようにした。アクセスすればメンバー紹介、ライブ日程などを載せて、デモ楽曲が流れる仕組みだ。 Twitter、インスタも頻繁に更新。返信には、必ず俺はメッセージを伝えた。そういうところは俺はマメなのかもしれない。特に女子の人気を得るためには、マメ男に徹するに限る。 ライブ会場では、お客さんに、声をかけてパンフを渡す。興味がありそうな女の子とは即LINEの交換をした。 こうして、週末には、30分程度のライブをやって、徐々に名前が知れ渡るようになっていったのだと思う。 オリジナル缶バッジや、Tシャツのグッズも用意して、チケット以外の収入も入るようになった。    * バイトも始めた。大手家具メーカーの下請けで、注文された家具をトラックで配送する、引っ越し屋さんのような力仕事だ。 一日に何件か、エリアを決めて、テーブル、ソファー、ベッドなどを届けて、その場で開封し、セットしておしまい。これを一日10軒ほど回って日給は1万2千円。悪くはないだろう。 「拓海、お前社員にならないか?」先輩社員の古沢さんというオジサンが車中、声をかけてくれる。 「はあ、でも俺、いや僕には本業があるんすよ」 「何だ、ホストクラブか?!」 「いや、バンドでライブとかやってまして」 「ほう、プロを目指してんのか?」 「まあ、一応・・・」 「バンドなんて一生は食っていけねえぞ」 「そん時はそん時で考えます。夢なんで」 「かー・・・若いモンはいいね、夢なんて俺は結婚して所帯を持つことだったけどなー」 「25までは頑張ってみようと思います」 俺は流れる車窓の景色に目をやった。摩天楼を覆う夕方の空、三日月が顔を出していた。
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