文は揺蕩う

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 登頂から、三時間と少しが経過した。  昼時を告げる太陽は、その光を煌々と真上に照らして緑葉を燃え上がる色彩に染め上げる。展望台付きの頂上からは、湖の端々とそれを囲むように群生する緑が絶景だ。 「いやぁ、着きましたね。頂上。三角点を踏み越えましたよ」 「実際に踏むなよ。長瀬後輩、バットマナーで死刑だぜ?」 「少年よ大志を抱けではないですけど、一度やってみたいじゃないですか?このポーズ」 「……いや、それは構わないけど高台ではやるなよ?」  __その眼は何処か泳いでいる。  わざとらしいし、その後の情景が目に浮かぶ。 「……」 「……」  数秒の沈黙。 「行ってきます、先輩」 「駄目って言ってるんだよ?!」 「大丈夫ですよ先輩。多分落ちても死にませんし。__それに、先輩が探しに来てくれるでしょ?  さっきみたいに」  探し人はなれて居るけど、懲り懲りだと伝える事にしよう。 「__良い事みたいに言うなよ」 「後悔するよりはいいじゃないですか」  __確かに、後悔をするよりは。  長瀬後輩は、庵に聲をかけた。    頂の景色はそれはそれは見事なモノで、各自持参した昼食を取りながら、思い出話に花を咲かせる。 「そうだ。今度は、夕方に来ましょうよ。庵先輩」  そうだというように、庵も頷いた。  伝えたい事は何か。  ここまでくれば、嫌になるほど分かる物だ。  それは多分、この山に登ることが決まった頃から分かっていた事だろう。 「なあ、庵」  庵が、此方に振り向く。   「__俺は、お前が誰よりも強いと思っているよ」  夢の中での情景がハッキリと浮かぶ。  色なら、俺を笑うだろうか? 「式には、確かな一歩が必要だったんだ。生きる為に、ダメだと思ってしまっても縋れる一歩が必要だった。  __俺はそれに気が付いていながら、その一歩になる事は出来なかった。それは例え言葉でも良かったんだ。  そんな事を今でも考える人間だからさ。正直、あの湖の底へ思いを捨てたお前がうらやましい」  無論、この言葉に皮肉がこもっている訳はない。 『東星は、不器用なくせにそうふるまおうとしているけど。  君の中には、後悔だけが残っているんだ。__やり直しは聞かないけど。もう二度とはしないって言えるでしょ?……それでいいじゃないかなって、私は思うよ』  二度としない。  その為の機会はあるだろうか?    長瀬後輩や朝霧庵を救い続ける事を、俺は続けられるだろうか?  それは本当に、正しい事なのだろうか?其処に含まれるのは、自分への義務感ではないか? 『君がそんなに強くならなくても、長瀬後輩はきちんと強いから』 「……庵の事だよ」 『私も、大丈夫。きちんと強いよ』  朝霧庵は弱く、支えてやらなければいけない。  俺はそれを否定していながら、何処かでそれを望んでいたのかもしれない。朝霧庵が姉の様に弱ければ、__俺はもう一度、贖罪を償う事が出来ると思ってたのだろう。  __それがあまりにも無責任で、侮蔑であると知っていたとしても。  杖になる他に、清算は出来ないのだと思い込んでいる。 「__重荷を背負いたい年頃なんだ。どうか背負わせてくれないか?」 『そんなに背負ったら、君はいつか倒れるよ』 「丈夫だけが取り柄だったから」  生憎、倒れる程に役割を欲しているから。  言える訳もない言葉を飲み込む。  そして。 『私達は、君の重荷でもないし君を頼る事はあっても、頼らせない事は無いから。__これからも、隣人としてよろしくお願いします』  俺は、顔を背けて言葉を詰まらせる。  だけど、その表情は晴れやかであるだろう。  俺達は初めて、隣人の言葉通りの対等になれたのか?  長瀬後輩が続ける。  この話を告げた時、長瀬後輩は共犯者だと言っていた。 「今日、此処に先輩方々と挑んだのは、蟠りを消す為です」  如何やら、長瀬後輩は俺の事が苦手だったそうだ。  確かに、他人よりはとげとげしい言葉だとは思っていたけど、それが苦手意識から来る照れ隠しだとは思わなかった。 「色先輩の事で、多分色々あったと思います。少なくとも、東星先輩と私の間柄にはありました。  私にとって、色先輩はお二方と同じように頼れる先輩でした。私が私として生きる為のきっかけを作ってくれました。こうして、先輩たちと山に登れるきっかけは色先輩です。__でも、きっかけは理由になりません。  私は、先輩たちと登る事が心底楽しいです。  それは、私だけの価値なんです」 __これが、正解だったんだろう。 「私は、先輩たちと登る山が大好きです」  最上東星は、杖になれない。  杖であるべき役割を失ったのだから。  それでも、誰かの隣に立ち。同じ人として”隣人”として歩く事は出来るだろう。  隣人が歩みを止めるまで、次へ進む事は出来るのだから。  話を聞いた浅崎庵は、そんな事かというように呆れた笑顔を見せ、何時も通りその達筆な書跡を走らせていく。  スケッチブックに書き足された言葉は厚みを増し、そろそろページが限りなくなっている。  こちらが手話を覚えれば楽だというのに、彼女は手書きにこだわる。  その対話が私達らしいというように、彼女はその言葉をかざした。 『ありがとう』  言葉は、それだけで十分だった。  
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