文は揺蕩う

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 簡素な集落が点々とある小さな町なので、身近な顔見知りは多いけれど同世代が異様に少ない。  故に、隣人は近い存在だった。  平成の大合併の折に新しく名前を変えられ、その他大勢と共に市の仲間入りを果たした。湖周辺のレジャー施設が織りなす町という体裁は今も変わらず、ペンションがあちらこちらに建てられ。__住民は減っていく。  市政の成果故か、真新しいバスが畔を走っていた。  止まれの表示に律儀に従いバスは停車。隣人がルーズリーフを手渡したのはその時だ。  隣人は、言葉を話せない。  古くからの友人である、浅崎庵(あさざきいより)は、先天的に聲を発する事が出来ない。だから意思疎通の手段として文章を使う。  言葉がつかえない彼女は、それに比例するかのように整った手書きの文章を渡してきた。  惚れ惚れするような達筆の手紙を受け取り、俺はそれを開く。 「底炎(ていえん)祭?」  其処には、底炎(ていえん)祭についての詳細と祭りの要である”灯”の話が記載さていた。  この祭りは、古くは江戸時代から続く伝統的な行事であり。豊穣祈願や、湖の漁場における豊漁を祈願する為に行われていたそうだ。  重りを底に敷いた伝統的な陶器を、火を灯しながら湖の底へと沈ませる。その中には手紙が入っており、自らの心の内を神様に届ける。  今ではその風習も相まって、行事としての側面が強いと聞いている。  十八代続く灯は、人々の願いを一筆賜る重大な仕事だ。  人の思いを簡潔に纏め、書き入れる。  灯は、人々の思いを書き記す代筆家だ。  達筆で文書を示し、長文を纏め直す。  隣人は古くから、この街の司祭を兼任する家系の分家らしい。  分家と言えどもその役割を継いだ浅崎庵(あさざきいより)が、灯となるのに、これ以上の理由は無かった。 「思い出を、何にするか……ね」  全国規模で募集している願いは、祭り一か月の今現在でさえ日に十数枚の依頼がある。書き留め続ける彼女の苦労は、学業を兼任している事を踏まえて尊敬するべきだろう。  さて、この祭りは遠方から来る参拝客も混ぜて、二日の予定で行われる。殆どの住民も参加をし例年大規模な規模の祭りを行う訳だが、生憎。自分は参加が出来ないでいた。 「__あー。……どうだろ?今年も、ダメかもしれない」 『何故(なにゆえ)?』  スマホが揺れる。  通話アプリに、メッセージが書き込まれていた。  わざわざルーズリーフに欠きだした文章の意味とは?__度と、野暮なことを心に留め、その紙が真新しくない見た目からして、去年のそれを思い出した。  地元の観光協会が、内外に発信する為の広報誌に掲載した紹介文。最後の文言だけを変更した、底炎祭に関する説明書き。 『__B・ミーツのケーキが売り切れてしまうんだ』 『また、関係なさげな事を……』 『いやいや。甘党を自負する身分としてはね。庵先生』  毎年、欠かさない用事だと付け加える。  B・ミーツは、地元の野菜や果物を使用したケーキ屋だ。遠方や、観光客などで賑わう店で、地元紙や全国紙などでもたびたび紹介される。  この時期、一部の観光客は底炎祭にかかりきりである為、競争率が異様に低い。普段は売り切れ必須なケーキも、毎年余裕をもって購入できる。 『__可哀そうに、もう手遅れだ』  底炎祭にかかりきになる彼女には、関係の無い話だ。  他人事とは、言いえて妙だな。 『大丈夫。君の分は無い』 『君の大丈夫は一番愚かな大丈夫です、自覚を持ちなさいこの野郎』 『……もしかして、愚者の烙印を貼られてる?』  スマホに表示される、愚者のスタンプ。  生憎身に覚えが無いと言いながら、先日買い入れた映える写真を何枚か送ると、隣人の機嫌はさらに悪くなる。  善意と揶揄いの意味を込めて贈ったというのに。__まあ、言わなくとも何が不満なのかは分かるけど。  だけどこうして隣人の表情の変化は実に飽きない。言葉以上に表情は現れるものだ。  言葉だけが表現の全てではない。  其れを、表情豊かな隣人は教えてくれる。 『貼られてしもぅた。お婿に行けない』 『さようなら。ベイベー』 『アイルビーバッグ』  バスがトンネルを抜けると、其処には青々とした木々の先に町並みが見えた。限界集落に小指を付けた我が町の高校生は、残念ながら一時間かけてバスに揺られて登校するしか選択肢がない。  その隣町の高校も、三つのうち一つが潰れて二つになった。  正確には、我が街と訂正すべきだろうけど。往復一時間の道筋を同じ街中だとは思いたくないモノだ。  ジョークと冗談の応酬は何時もの事で、次々と乗り入れられる同学生やらの視察もそこそことして、スマホの言葉遊びに熱中する。 『すみません。ファブリーズを服用していないお客様は、近づかないでください』  と、言いつつ。  カバンの中から取り出したのは、底炎祭のパンフレット。ご丁寧に住所と名前は書いており、後は後悔を注げるばかりの代物だ。 『__何かお願いがあるなら行ってみたら?神様に』  底炎祭の書状は、願いを書くモノではない。  多くの観光客が理解しておらず、その多くが願いを書き記す祭りだと理解しているだろうけど。この祭りは、願いではなく胸の内を届ける祭りだ。  わだかまりを、懺悔を。そう言った胸の内を湖に捨てる。  それでも、願いを届ける事が出来るのなら。  強いて言えば、一つだけある。 『男の子なら、イカロスですな』  まだ、空を飛んだことはなかった等と冗談をほのめかした。 『太陽に近づきすぎると、燃え尽きるって知っている?』 『大丈夫。フェニックスになれば解決するよ』 『そうなると、私が焼かれるのですが?』 『気を付けるに決まっているだろ?  まあ、ロックな事にはならなそうだよね。漫画の神様も言っている事だし』  死なない事は良い事ではないと言っていた。  底炎祭は、特別な船に乗り込み川から湖に移動し湖の中心で手紙が入った陶器を捨てる。  その際、陶器は水面の船の篝火で燃えるように光るらしいのだけれど、そんな様子は見た事が無い。  言い伝えやら伝承が今でも続いて、底炎祭の語源となったのだろう。 『お願いを書くだけなら理由はいらないでしょ?私が投げてあげますよ』 『君の手を煩わせるにはいかないからね』  わだかまりを捨てるのは本人であるべきだが。  事情があれば、他人が捨てる事が出来る。  それに意味があるかは知らないが。 『それは気づかいですか?』 『いいえ、気づかいではないです』 『AIの反応みたいって言われない?』  胸の内に秘めた思いを伝える事も、この思いを捨てる事も出来ない。  そんな場合も、人にはある。  たとえどんなに色褪せたとしても、それ以上の事に塗りつぶされようと。捨ててはならない思いと、言ってはならない事がある。  責任感でも、義務感でもない。  俺の蟠りは、浅崎庵(あさざきいより)に伝えてはいけないのだから。   『次、何処に登る?』  バスが市街地に差し掛かった頃。  隣人が差し出したパンフレットを覗いていると、袖を引っ張る隣人がスマホを指してきた。  如何やらメッセージを飛ばしていたようで、それに気が付かなかった俺は、パンフレットをドリンクホルダーに丸め、スマホを見る。 『水戸家山になったらしいよ。君、風邪だったんだから早めに聞きなよ』 『小野川の支流だっけ?ルートは』 『そそ。珍しい動植物で溢れていると、話題のスポットです』 『登山部部長としては、山登りはこりごりですが』 『登山部副部長としては、部長としての責務を果たしてもらいたいのですが?特に、君という訳でもないだけどさ。まぁ、せっかくの後輩ちゃんのリクエストなんだから、張り切りなよ』  登山部は全三名で構成されており、部長を務めているのは俺だ。  君という訳で確定だというのに、隣人は含めた言い方を止める事はない。 『まあ、高山植物は見て飽きないけど』 『食虫植物限定ですよね?君』 『いや、男の娘心には響くってだけで。__それが大層お気に入りという訳では決して』 『無いとも言い切らないのが、君の美徳だね』  思わぬ誤字変換にツッコミは無いようだ。  又は、呆れているかのどちらかだろう。  表情を見るに、呆れの方か。 『文脈的には、言い切っているとは思うのですが?』 『そうではない。そうかもしれない。又は、その類義語』 『翻訳サイトみたいな返し方だよね』  水戸家山の標高は1600メートル。  ハイキングコースも完備しており、要所要所に町や湖を眺める事が出来るスポットがある。  山登りにおいてどの道筋から攻略するかはとても重要な要素だが、今回上るコースは中級者向けだと聞いている。 『小高い丘を過ぎれば、水戸家山からは湖が良く見えるそうだ』 『写真を撮るのが楽しみですね。ああ。高低差は無いから、袋の実験は出来ないでしょうか?』 『そういえば、途中の小屋には幽霊の噂が__』 『井戸とかあるでしょうか?』 『それ、貞子とか言わない?』  画面ではなくリアル志向らしい。  バスが停車した駅前では、既に多くの学生が列を成していた。 『楽しみだね。__雨だけは気を付けないと』 『……ああ、それだけはこりごりだ』  土砂崩れ等、様々な危険が含まれるから。登山家としては雨が嫌いだ。  少なくとも、雨の日にいい思い出は無い。  不幸を好きになる人間は居ない。不幸を思い出す事柄を浮きになる人間も然りだ。  ある日。隣人は大切な人を失った。  隣人は湖にその思いを捨て、区切りをつけ。それでも前に歩を進めている。  今、隣で笑う隣人は前へ進めている。  大切な思い出に区切りを付けることは、確かな強さに違いないだろう。  対して自分は、と。思い悩んだ結論を単純に言うのなら。彼女のような強さは俺に無い。  それに言い訳をするのなら。  所謂、最善だったんだ。  この結末も、俺の罪も。  あの色彩を、忘れない結果に過ぎないのだから。    
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