文は揺蕩う

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 林の切り目からは、穴の開いたような大きい湖と点々としたレジャー施設が一望できる。言う必要も無く、その湖は底炎祭で有名な湖であり、手前側では細長い飯田川が湖へと淡水を供給している。  この山の向こう側は、噴火の影響で山の一部が欠損しており厳しい傾斜が続いている。緑葉の落ち着きあるこちら側とは違い、一つの山でも見せる顔は違う。  似て非なる物だ。  生い茂る緑葉の陰に潜むように、中間地点の目印の様にその山小屋はある。元々は連邦の踏破を目指す人々用の拠点を背景に座る。  見晴らしの良い地点としても有名で、湖の情景を撮る人も多い。  山小屋に到着した隣人は、此方へ振り向き時計を指さす。  少し目を細めると、今度はスマホのストップウォッチ機能に目を通した。前回の山登りでは、少しばかり山道にそれたりしていたせいか大分早く登れているようだ。 「二時間って所かな?頂上まで一時間って考えると、降りる時間は一時とかだね。どうする?この後、新刊でも買いに行くか?」 『隣人さんよ。この格好で町に行くと?』  私は、わざとらしく上着を見せた。  この山道は少しばかり傾斜がきついが、道のりはそれほど大した事は無い。中学生でも、程々の体力と道を間違えなければ登り切る事はたやすいだろう。  天候は変わりなく、夕立ちの気配も見えない。  気分屋とは申されるが、それは一瞬ではない。雲には理由があり、その理由を見極められれば怖い物ではない。  身を以て、私はソレを知っている。  だから私が気にすべきことは、後輩が意味ありげに言った言葉の方ではないのか。重要なのは、何故その事を話したのか。……ではなく、なぜ今になってそれを話したのかが重要だった。  三年前に、姉は失踪した。  姉はこの山へ向かい、山へ登った。地元住民だけの目撃情報で、これ以上詳しい話は分からない。  いくら危険地帯があるとはいえ、中学生でも登れる山だと私は確信している。当時中学三年生であった姉は、多少の連峰や山々を踏破した実績を持つ。 そんな姉が、この山で遭難するはずがない。  __だから、私は。  姉は、自殺したのだと思っている。  ”遭難”ではなく”自殺”だ。   「……さすがに、着替え持ってきてるよね?」 『もちろんでございます。__つか、まさか汗を流す暇もなくはないですよね?部長殿』  私達を繋ぎ止めていた姉は、私達が思っていた以上に大きな存在だった。  私は灯として多くの手紙を書き写してきた。人の思いを湖に沈めるこの祭りにおいて、手紙とは思いの掃き溜めだ。  其処には葛藤や、抱えきれない蟠りがある。他人の不幸を見続けるのは気分がいいモノではない事を私は知った。  果てしなく、私は灯としての仕事が嫌いだったのはその為だ。  今でもそれは変わらないのだけれど、昔よりもマシになったのは姉のおかげだ。  隣の芝生は青く見えた。  しかし、隣の芝が青かったのは芝の努力が欠かせない。  他人事の、その過去が拠り所だった私とは違う。  私が身をもって知っている姉は、後輩の悩みに対しても真摯に答えていた。そして後輩は、そんな姉に対していつも憧れを口にしていた。  そんな彼女が、二年の月日が流れた今、何故その話を黙らせていたのだろうか?  ……私には、その理由がより良い話には思えない。  それに、人の事は癒えない私だ。  いなくなった姉を重ねるように、その幻影を後輩に重ねているような自分が他人を非難できるはずがない。  私の罪は私の物で、姉のわだかまりは彼女の物であるべきなのだから。 「いや、その後のご予定を聞いているのですが?というか、後輩君は?」 『__いない』  話が過ぎた。  事情を考えて居る間に、何時の間にやら長瀬後輩の姿が見えない。先程の事情を考えて居たおかげで、私の頭の中には最悪の事態ばかりが浮かぶ。  この近くには、火山ガスが沸き出る場所がある。  飯田川に繋がる支流の一つで、鉄分を多く含んだ川の近く。まともな登山家であれば、危険防止の黄色いテープの向こう側に行く事は無い。  しかし、もし何か思う物があるのなら。  私は立ち上がろうとしたけど、その前に荷物に塞がられる。 「__ちょっとこれ持ってて。さすがに危ないから連れてくる」 『私が行くよ』 「可愛い後輩を探すのは、何時も俺の仕事だろ?すぐに戻ってくるから、俺の荷物漁らないくださいませ」  イヤらしい物でも入っているのか?と問いかけると、何時もの表情で其れを否定する。冗談を含むこの会話が、いつも通りだと自覚しながら、少しだけ温もりが残る其れを抱きしめる。  そうだ、誰かが離れた時。何時も探すのは隣人の仕事だった。  後輩がはぐれてしまった時も。  私が逸れてしまった時も。  何時も隣人が探し連れ帰ってくれた。彼は何処に誰が向かう事を知っていて、人を理解して。痕跡を探す事に長けていた。  来た道を戻りながら手を振る隣人に、ささやかな応援を送り私は待つことにする。  生憎、待つことは得意なのだ。  カメラの様に待つ事は。  それに、待ち人来ると相場は決まっている。  待つ事、十数分が経過。  石の上にも三年いれば、願い事は叶うらしい。__いや、どうかな。我慢をすればいい事がおきるという意味だっただろうか?  何方にせよ、我慢は実りを上げると誰かは言っていたと思う。  こうして待ち人来るを信じれば、成果はあると言っていた。  なら。そう在るべきだと信じる事が、今の私に出来る最大限だろう。  何もしない事が罪だとしても。  信じる事に罰は無いでしょ? 「確保したよ。連行中」  何時もの喧騒が聞こえた。  振り返れば、隣人の頭が此方に接近していつも通りの言い合いをしていた。長瀬後輩は隣人の瀬に背負われているようで、その小柄な体格を名一杯動かし抗議を続ける。 「先輩、これって立派な犯罪ですよね。そろそろおろしてくれないと、私訴えますよ?」 「誰が犯罪者だ、あんなところに行きやがって。有毒ガスがあるっていう表示が見えなかった?大体、登山道でもない所をフラフラと歩くなよ。マジで死んでたよ?良いの?」  何やら石が入ったビニール袋を手にした後輩を背負いながら、隣人が先程の山道から顔を覗かせる。背中の長瀬後輩は抵抗を繰り返すが、その度に隣人が悪態をつく微笑ましい光景だ。  胸を下ろす様な気持ちを顔に出さず、私は呆れ顔で迎える。  良かった。という安心感が、胸を満たす。 「放してください、先輩。私には解明しなければならない謎があるのです」 「名探偵のつもりですか?  お前はただの馬鹿だ。自覚しなさい、おバカ。  大体、あんな所に何があるって言うんだ。採掘でもしてたのかよ」  後輩が採取したのであろうそれを、地面に置き彼は黄色いハンカチを懐に仕舞った。   「先輩じゃ話にならないんで、話せませんよ」 「俺も話にならないと思うぞ。今日の登山は打ち切りだな、長瀬」  裾の方が濡れていて、何処か川のようなところを渡ったようだ。  この近くには、確かに硫黄が取れる場所が点々とあるけれど、皮の方は一段と火山ガスの警告で華やかな場所だったはずだ。  __なんにせよ、大事に至らなくてよかった。 「あそこに先輩は居るんですよ、先輩」 「誰の何某先輩がいるんだよ、あんな所に。  この山の何処にもお前の探している誰かは居ないだろ。もう、お前はお節介を働くなと言ったはずだ。違うか?」 「幽霊を探すのが、私の趣味なので」  含む言い方に淀みなく返した後輩は、何処か残念そうに戦利品をバックに積める。長瀬後輩がそんな趣味を持っているとは思っても見なかった。  そういえば、廃屋の写真を徐に取りながら、そういう建物に幽霊が湧いて出そうだとか。そんな話をした覚えはあるけど。  それは下らない話で、今回の其れもくだらない一端だろう。 「……止められている上で歩む事を何と言うか知っているか?長瀬。  それはな、自殺って言うんだ。憶えとけ」  隣人がため息交じりに吐いた言葉を、長瀬後輩は鬱陶しそうに明言を避ける。山での事故は、最善を尽くした人間でも起こりうることだ。だから、山に登る際は、不測の事態を考慮しつつも最善でなくてはならない。  遭難は他人事ではないし、私は身に染みて理解している。長瀬後輩もそうである筈だ。  一人の油断が死に繋がるこの趣味を続けるには、死を許容しつつも出来る限りの安全を守らなくてはならない。  此処には法律が無く、私達の国ではないのだから。 「先輩は、色先輩の山登りを止めなかったじゃないですか」 「__色の話はもういいだろ。それよりも、自暴自棄になった後輩を此処から降ろす算段に困っているんだけど?」 「もうしませんよ。っていうか、マジで先輩の勘違いです。  __自殺は前から飽きているんです。だから、新しい趣味を持つ事にしたんです。山登りは先輩と被ってしまいますから、他の趣味を楽しもうと考えまして。  私は昔から、鉱石に興味があるんですよ。先輩。ここは昔から硫黄が取れるって知っているでしょ?」 「それは良かった。もう少しマシな趣味を持ってくれると助かるんだけどね?」 『喧嘩は終わった?』 「喧嘩じゃないです、話し合いだよ。公平で平等な」  話し合いにしては、言葉が過激だと思う。  何時も通りと言えば、何時も通りだろうけど。  隣人に荷物を返すと、お礼の言葉とともにカメラを手渡された。  隣人が言うには、この活動の記録を取らなきゃいけないそうだ。そんな話は聞いていない……が。  まあ、記録は私の仕事なので。  私の仕事は、この活動の記録だった。  写真を撮り、私達の思い出の記録を取り続けるのが私の仕事だった。  風景は私を裏切らず、技量と情景は私を支えてくれた。私は写真を撮る事を趣味としていたが、山での風景を取る事は無かった。  姉の事が過るのも一つ。  __それに、私は第三者としてではなく三人で登りたかった。  だけど、それは叶いそうにないのかもしれない。  カメラを二人に向ける。  相変わらず華やかで彩られている話に夢中な、宝物たちは知らない。  私はカメラが好きなのではなく、カメラの向こう側に憧れている事を。  音の出ない背景よりも、そちら側が恋しい事を。  私は、今日も伝えぬまま過ごしている。    
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