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中学二年生になったある日のこと。僕が通学路を変えた朝、奈緒ちゃんは事故に遭った。
僕の所為かもしれない。そう直感した。
毎朝とぼとぼ歩く僕を、すたすたと抜き去っていく奈緒ちゃんの凛々しさが好きだった。追い抜く時、歩調は緩めず瞬く間に、爽やかな作り笑顔で『おはよう』と挨拶をくれる。
それだけで僕の心は奈緒ちゃんに占領された。それが毎朝。だから、心の容量がなくなって、だから、苦しくなって、だから、だから······
だから、奈緒ちゃんの作り笑顔に騙されないように、通学路を一本ずらした。
そうしたら、その日奈緒ちゃんは学校に来なくて、先生から悲しいお報せを聞くことになった。
奈緒ちゃんが今朝、事故に遭って意識不明の重体なんだそうだ。
僕が通学路を変えずに挨拶をして、ほんの一瞬タイミングがズレていたら、事故に遭わなかったかもしれない。怪我の程度も違ったかもしれない。
僕は自分の所為だと確信して、ガタガタと震えが止まらなくなった。
隣の席の高田さんが『大丈夫?』と聞いてくれたのに、上手く声を出せなくて無視してしまった。
放課後、先生からお見舞いへは行かないよう言われていたから行かなかった。気になって仕方なかったけれど、先生に言われているから仕方ないんだ。
翌日、奈緒ちゃんが息を引き取ったと言って、先生が泣いて見せた。教室のあちこちから泣き声が聞こえる。
誰より奈緒ちゃんと仲が良かった高田さんは、涙を見せず僕にコソッと聞いてきた。奈緒ちゃんがなぜ事故に遭ったか知っているのかと。
僕が昨日震えていたから、何か勘違いをされているのかもしれない。まさか、僕が突き飛ばしたとでも思っているのだろうか。
疑われていると思った僕は、慌てて釈明した。すると、違うよと小さく笑った。安堵したのも束の間、『私の所為だから』と表情を落として言った。
「だって····奈緒ちゃんってさ、カッコいいんだもん」
僕は全く意味がわからなくて、豆鉄砲を喰らった鳩の様な顔をしてしまった。そして高田さんは、僕が聞いてもいないのに続けた。
「奈緒ちゃんはね、男の子も女の子も、みんな惹かれちゃうの。私の仲良しの子も、好きな人も。だからね、私が転んで助けに来てくれた奈緒ちゃんを置いて逃げたの。迫ってくるトラックの前から」
この子は何を平然と、昨日見たテレビドラマの内容を話すように話しているのだろうか。
胃がムカムカとしてきて、今朝食べたジャムトーストを吐き戻しそうになった。が、グッとこらえて聞き返した。
「どうして僕に言うの?」
高田さんはニタニタと、目を薄っぺらくなった三日月のように細めて言った。
「好きだからだよ」
ああ、やっぱり、結局僕の所為なんだ。
ふと目を開けると、保健室の天井が見えた。
そうだ、押し付けられた現実を目の当たりにして、あまりの気持ち悪さに倒れてしまったんだ。
「✕✕✕くん、大丈夫?」
シャッと勢いよく開けられたカーテンが、くの字に折れた人を連想させた。また少し込み上げたが飲みこんで、僕の鞄を抱えた高田さんを凝視する。
「あ。警戒してるでしょ」
当然だろう。しかしその一言で、あの話が夢ではなかったと思い知らされる。
瞬きもせず、いや、できずにじっと見つめる。
「高田さんは、どうしたいの? 奈緒ちゃんを······その、ころ───」
「奈緒ちゃんって言わないで」
「え?」
「私の事、菜緒って呼んで」
大河内奈緒と、高田菜緒。同じナオという名前。先に知り合った奈緒ちゃんを名前で呼び、紛らわしいうえ差程仲が良いわけではない高田さんを姓で呼んでいた。
なるほど、そういう事か。奈緒ちゃんは居なくなったから、自分を菜緒と呼べと言うのか。
やはり嫉妬だったのだ。合点がいくと何の事はない。よくある話じゃないか。
奈緒ちゃん、もとい大河内さんの葬儀に参列した。遺体は損傷が激しく、見ないよう先生に言われたから見ていない。
葬儀の数日後、菜緒と手を繋いで帰った。菜緒が警察に連れて行かれた日までは、恋人ごっこを続けた。
先生に、菜緒の事は詮索しないよう言われたので、一切考えないようにした。
先生はいつだって正しい指示をくれる。何でも知っている。
奈緒ちゃんの笑顔が作りものだった事も、陰で僕の事を気持ち悪がっていた事も知っていた。生徒会長になる為にしていた挨拶運動だったそうだ。
高田さんが僕を好きな訳じゃなかった事も知っていた。同じ名前なのに何でも持っている奈緒ちゃんが妬ましくて、好きでもない僕に好きだって言って脅してきた事も。
全部、先生が前もって教えてくれたから、僕は苦しい思いはしていない。先生のおかげだ。だって、僕は先生の特別らしいから。
僕も先生の様に、何でも知っている大人になりたい。だからね、僕はこれからも先生のお気に入りでいなくちゃいけない。
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