皐月には曖昧な風が吹く

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*** 理一と初めて出会った瞬間の私は傷だらけだった。 それは比喩ではなく、単純に体中に怪我をして、心にも怪我をしていた。 私の両親――血の繋がった本当の両親は私が三歳の時に離婚した。その後は母に引き取られた私は、保育所や幼稚園には通っていなかった。 なので小学校に上がるまでは、他の家で育つ子供と関わることがない生活を送っていて、だから何も知らなかった。 大抵の子供は両親から暴力を受けることがないということも、毎日三食あたたかい食事が食べられて、ふかふかの布団で眠ることが出来るのだということも、私は何も知らないまま小学校に進学した。 そしてそういう家庭状況は通常の社会からは『異常』と判断され、『保護』の対象となるらしいことも、小学校の担任の先生に教えられて初めて知るのだった。 私の母に虐待を隠すという意思がなかったのが不幸中の幸いだったようで、当時担任だった二宮という男性教諭が母を問い詰めた時、母はあっさりと『ならもうその子捨てられるの?それなら願ったり叶ったりだわ』と笑った。 水商売をしていた母の吸っていた煙草の独特に甘い香りが、今もその時を回顧するたびに、鼻先にへばりついているような気がした。 そして私は担任だった二宮の友人である、邑崎泰造に引き取られることになった。 彼は理一の実の父親だ。彼もまた都内の公立高校で教鞭をとる教師だった。正義感が強く情に脆い父は、傷だらけでガリガリに痩せた幼い私を見て、『どうしても放っておくことが出来なかった』と言った。
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