水無月が昏い雨に濡れる

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このラウンジは地下にあるけれど、建物の中心がくり抜かれるように吹き抜けになっているためにここまで太陽の光が届くように設計されていた。だが今日は生憎の雨だ。 太陽の光が地下のこの場所まで届くのと同じ摂理で、雨音もここまで届く。憂鬱を孕んだそのサウンドが鼓膜をさらさらと撫ぜた。 雨には悪い記憶が絡みついているから苦手だ。 「記憶喪失がお望みか?」 皮肉ぶった織木がラウンジの真ん中にぽっかりと空いた風穴と繋がるように、テラスに出ること出来る扉を開けた。その枠縁にもたれ掛かるようにして立ち、くたびれた背広の胸ポケットからソフトケースの煙草を取り出した。 「別にそういうわけじゃ…」 「後悔なんてもんは抱えるだけ時間の無駄だぜ」 織木露風という男はとても目敏い。 人間などクソだと吐き捨てて嫌っているくせに、その人間の心理構造を解き明かさんとしているなんて酷く矛盾しているように思う。そしてその実、織木は誰よりも人間という生き物に執着しているようだった。 「後悔なんてクソの役にも立たねえもんはさっさと捨てろ。あの時ああしてればこうしてればなんて馬鹿馬鹿しい考えを後知恵バイアスっつぅんだよ。驕るんじゃねえよ。人間の危機管理なんてもんはたかが知れてる」 だって人間なんか全員クソだからな。 剣のある言葉とともに吐き出された煙が織木の息の形を象る。吸い込まれそうに透き通った織木の瞳が私を射抜いた。この悪辣な男には似合わない美しい瞳だった。 「お前は多分、色々考えすぎだ」 鈍色の空から糸を引くようにさらさらとした細い雨が降っていた。扉の隙間から濡れた空気が流れ込んでくる。織木のぼさぼさの髪が湿気を孕んで僅かにくたびれていた。 「慰めてくれてるんですか、今」 「調子乗ってんじゃねえよ、司書が」 「邑崎ですってば」 「あっそ」 興味ねえよ、と冷たく言い放って、織木はまた煙草をくわえる。 その紫煙は、理一のそれとは違う香りがした。
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