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文月は海に呑まれて沈む
生ぬるい潮風の薫る文月には海に行く。
それは初めてこの海を訪れた十五の夏から、変わらない俺と菜々の習慣だった。
青く晴れた空の下、白い砂浜の続く海岸をふたりで歩く。肌を撫でる湿度の高いねばついた潮風に爽快感はない。今日は風が強いせいか沖合の波があまり穏やかではないのが伺えた。
「気持ちいいね」
それでも砂浜を歩く菜々は上機嫌だ。
水色のワンピースをさらりと一枚着ただけの涼しげな菜々の装いに、また夏が来たのだなと今さらな実感が沸いた。
俺と菜々の実家のある県には海がなかった。
俺が高校に進学した初めての夏、そんな不満をどちらともなく漏らしたのをきっかけに、都会というには忍びない地元から電車を乗り継いで辿り着いたこの海は、海開きが始まった今でも閑散としている。
「去年ここに来た日からまた一年が過ぎたんだね」
独白ともつかないような細い声が漏れる。青い夏空に溶け出してしまいそうに白い菜々の肌が、ほのかに恐ろしく見えるのは今に始まったことじゃない。
初めて出会った瞬間から儚げで透明な空気を纏っていた菜々は、ふと気づけば目の前から消えてしまいそうで、俺はいつだって心許ない。
***
『ねえ理一、すごい、海だよ!』
そう微笑んで振り返ったあどけない菜々を見たのはもう十五年も前のことなのかと、不意に込み上げた追憶の中で苦笑した。
家族旅行だなんだで、今までにも海を訪れたことは何度かあったのだから、初めてこの青を目の当たりにしたというわけでもあるまい。それでも菜々はいたく感動したように、その真っ黒な瞳を輝かせていた。
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