文月は海に呑まれて沈む

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『とりあえず茨城方面に向かおうよ』 『だな、どっか海水浴場調べる?』 『なんか行き当たりばったりで行ってみたくない?なんにも調べたりせずに勘で』 『それで海に着かなくても知らないよ?』 『それはそれで思い出だよ』 一学期を終えたばかりの終業式の帰り道だった。 道草というにはあまりに遠い場所まで足を伸ばした俺と菜々は、別々の制服を着ていた。  その年の春から高校に進学した俺とまだ中学二年生だった菜々は、ただ通う学校が違うというだけで同じ中学に通っていた頃よりも一緒に過ごせる時間が格段に減っていた。 それは俺にとっては酷く不本意な変化だった。 菜々が妹になってから、八年の月日が流れていた。 出会った頃に失われていた菜々の声は、それから半年ほどで徐々に回復し、この時にはもう、鈴の転がるようなこの澄んだ綺麗な声を聴くことになんの違和感もなくなっていた。痣だらけで瘦せ細っていた体も新品に作り替えたかのような健康体に戻っている。 それでも菜々の心に刻まれた傷が癒えることがないことを俺は知っている。今でも時折夜中に悪夢で飛び起きる菜々が、俺の部屋のドアを泣きながらノックする度に、俺は顔すら知らない菜々の母親に禍々しい憎悪を募らせた。 『理一、あれ、海だよ!』 『へえ、意外とちゃんと辿り着くもんだな』 『だから言ったでしょ?』 車窓を流れる青い海を見つけた菜々が得意げに笑う。 次の停車駅で電車を降りた俺たちは、海の見えた方角だけを頼りに高台から坂道を下り、見知らぬ街を歩いた。暴力じみた真夏の日差しに照り付けられながらなんとか辿り着いた海は、侘しく廃れていて、それがまるで俺と菜々だけの秘密基地のように見えた。
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