文月は海に呑まれて沈む

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細波の音が聞こえる。青々とした海から白い飛沫が弾けては、泡沫のようにまた溶けて消える。人間の憂鬱など飲み込むかのように燦々と光り輝く太陽に目を細めながら、意味もなく砂浜を歩く。 何故毎年こうしてこの海を訪れているのか。郷愁にも似た思いが胸の奥にくゆる。俺も菜々も意味もない行為ばかりを積み重ねることに慣れすぎていて、それは本来健全とは言えないことを頭ではわかっていた。それでも繰り返される行動はまるで中毒や依存症の類に似た後ろ暗さを孕んでいる。 「理一は今年も夏は忙しそう?」 「通常運転だな、多分」 海岸の左手にある岸の上には風力発電ブレードがくるくると景気良く回っている。今年の夏も酷暑になると連日ニュースでやかましいほど報道されているおかげか、是非とも頑張って電力を供給してほしいものだと機械相手に的を外れた思考がもたげた。 「そういえば一緒に仕事してる後輩さんたちのカップル、まだ上手くいってるの?」 「ああ、喧嘩ばっかしてるけどな」 「喧嘩するほど仲が良いんだよ」 会社で一緒のチームを組んでいる後輩のふたりがこの春にしれっと付き合い始めたという世間話を、愚痴交じりに菜々に話して以降、時折このふたりの経緯は俺たちの会話に登場する。 「あのなあ、毎日毎日目の前で痴話喧嘩される俺の身にもなってくれよ」 「それは確かにちょっと嫌だね」 「ちょっとどころの騒ぎじゃねえよ」 「まあまあ」 菜々は宥めるように苦笑した。 それから肩に掛けていた小ぶりの鞄の中から緑茶の入ったペットボトルを取り出して口に含む。コクコクと控えめに動く菜々の小さな喉を何の気なしに眺めていれば、「理一も飲む?」と五分の一程度中身の減ったペットボトルを俺に差し出してくる。
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