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理一の些細な癖も、食べ物の好き嫌いも、機嫌の治し方も、他の誰よりも深く私が知っている。優しくて面倒見の良い理一が誰に似ているのかも知っている。
血が繋がっていない兄は私の人生のすべてだった。
出会ったその瞬間から私の目は理一だけを追い掛けることをプログラミングされたみたいに、その姿を目で追った。
だから私は理一のことなら何でも知っている。
鼻先を掠める夕方の風は卯月の甘ったるい匂いがした。春の風はいつだって甘い。夕暮れは寂寥を孕んでいる。なのに風が甘いのはどこか不釣り合いな気がした。
理一の背中が夕暮れに溶けこんでゆく。夜の中に呑みこまれてしまいそうで、思わずその裾を掴んだ。理一は不思議そうに私を振り返る。
「菜々?」
理一の唇は何度私の名を紡いだのだろう?
震える指先に気付いた理一が困ったように眉尻を垂らす。その手が迷うように虚空を彷徨ってから、私の手を握った。
指を絡めるのではなく、包み込むように。
兄と妹の境界線を、決して踏み越えない距離で。
「帰ろう、菜々」
暮れなずむ街を、手を繋いで歩く。
ひたすらに幼い頃と変わらない私たちを巡り続けている。
通り過ぎる甘い風に少し胸焼けがした。
これだから卯月は甘ったるくて苦手だ。
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