1-1 天使トワと勇者カイ(1)

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1-1 天使トワと勇者カイ(1)

「こ、ここは?」 「起きたようだね? カイ。私の名はトワ。お前を道案内をする……天使だ」 いきなりの事でカイは戸惑った。 誰とも知らない男が目の前にいたのだ。 絶世の美男。 流れるプラチナブロンドの長い髪が揺れ、憂いを帯びたブルーの透き通る瞳がカイの事を見つめる。 なんて綺麗な人なのだろう……。 しばらくの間、カイはぽおっとトワの姿に見惚れていたが、ハッとしてあたりを見回した。 ここはどこだ!? そこは趣のある洋館の一室で、出窓には小鳥が平和そうに餌をついばむのが見えた。 それで、慌てる必要はない、と理解した。 天使と名乗る男、トワは目の前の椅子に腰掛け、ゆっくりとした仕草で話し始める。 「……カイ。お前は死んだのだ。そして、この世界に転生した。勇者として」 トワの話は荒唐無稽のようだが、今のカイには理解する事が出来た。 死んでしまった。 それには思い当たる節がある。 トワは、この世界の事、勇者の使命、その他諸々の事を話した。 「と、いう訳だ。分かったか?」 カイは、コクリとうなづいた。 「よろしい。では、直ぐに出立の準備をしなさい」 「あの……?」 立ち上がろうとするトワをカイは呼び止めた。 「なんだ?」 「トワ様……って本当に天使なのですか?」 カイは、じっとトワの姿を見つめ、質問の理由を述べた。 「だって、白い羽もないし、頭上に輪っかもないです……」 なんだそんなことか、とトワは呟くと、 「お前は勘違いしているようだ」 と、続けた。 「天使とは、ここ天上界に住む、いわば人間の上位種。人間と同じように、食事もすれば、睡眠もとる。もちろん寿命もある。当然、仕事も持っている」 「仕事ですか?」 トワは頷く。 「例えば私は、転生した者達を下界へ道案内をする仕事を請け負っている。こうやって仕事をしながら日々の生活を営んでいるのだ。分かったか? お前がここに来る前に知っていた「天使」という創造物とはまったくの別物だ」 「……人間の上位種ですか?」 「そうだ」 「ぷっ!」 「何がおかしい!?」 突然吹き出すカイに、トワはムッとして睨んだ。 カイは、慌てて手を振って弁明する。 「ご、ごめんなさい……そのトワ様を見ていると、とても人間っぽくて……」 「な、な……人間だと? 私のどこが人間なのだ?」 「そんなに怖い顔で睨まないでください……それに、人間を卑下しないでください……人間だって捨てたものじゃないですよ」 トワは、首を軽く振った。 「ふっ……こう言ってはなんだが……天使と人間とは比べようもない。いくら勇者という肩書きを持っていようともな。……まぁ、よい。私としたことが、こんなことに熱くなって……さぁ、カイよ。行くぞ」 トワは席を立った。 カイはトワの背中に声をかける。 「あの、トワ様」 「なんだ?」 「下界に向かうのは……明日にしてもいいですか?」 「明日? 何故だ?」 「それは、人間も悪くないというところをトワ様にお見せしたいのです」 「ふん………お前も人間としてのプライドがあると言うのか……まぁ、いいだろう。何をするのか分からないが……一日ぐらいは目をつぶろう」 「本当ですか! やった!」 カイは手を叩いて喜んだ。 **** トワはいつものようにソファに腰掛けて本を開く。 昔買った本なのだが、それを何度も何度も繰り返し読み返すのだ。 それで、いつもは何時間も没頭してしまう事になるのだが、今日は何故か気が散って集中出来ない。 カイが台所に立ち何やら始めた事が原因なのは明らか。 トワは遠目でカイの姿をそれとなく観察する。 カイは、前世の雰囲気を多分の残して転生した。 長身のトワに比べ一回り小さい背丈。 栗毛でフワフワの髪に、くりっとした垂れ目、やんちゃそうな口元。 時折得意げにペロっと舌を出す。 ふふふ、可愛い男だな……クスッ ……え? トワは、自然と微笑んでしまっていた自分に思わず驚いた。 こんな気持ちになるのはいつ以来だろう。 ふんふんふん……。 ガチャ、ガチャ……。 カイは、鼻唄を歌い始めた。 楽しくて弾むような気持ちが伝わってくる。 トワは、溜まりかねてカイに声をかけた。 「で、何をしているのだ?」 「夕ご飯をご馳走させてください!」 「ご飯だと? 人間が作る飯など……不味いに決まってる」 「……ふふふ、それはどうでしょうか? お楽しみになって待ってて下さい」 「ふん……」 トワは、そう鼻で笑うと、興味が無いふりをして本に向かい直した。 **** カイは、料理のお皿を差し出しながら言った。 「さぁ、どうぞ! トワ様! たんと食べてください!」 「……で、これはどうやって食べるのだ?」 目の前に出されたのはパン生地を焼いたような食べ物。 初めて見た料理に戸惑いを隠しきれない。 「このソースをかけてっと……」 カイは、茶色の液体を生地の上に塗りたくった。 いい匂いが、プーンと鼻に入り食欲を刺激する。 トワは、言われるがままにそのパン生地にかぶりついた。 はむっ…… 「こ、これは……」 「どうでしょう? お口に合いませんか? ここにはオリジナルの食材や調味料がなかったので……似た味のモノで再現してみました」 トワは驚いていた。 ……な、なんだこの味は。 初めてなのに懐かしい味。 とにかく美味しい。 「なんという料理だ? これは?」 「元の世界で、お好み焼きというものです」 「お好み焼……」 ぱくぱく……むしゃむしゃ。 一口、二口は遠慮がちに口に運んでいたのだが、すぐに頬張って食べるようになった。 無言で食べるトワの姿をカイは不安そうな面持ちで見つめる。 「で、どうですか? お味は?」 トワはぶっきらぼうに答えた。 「……まぁ、確かに……美味い……とはいえるな」 「やった! 嬉しい!」 カイは、両手を高く上げて喜んだ。 **** ソファに横になり、すやすやと寝息を立てるカイ。 トワは、そっと毛布を掛けてやった。 変わった人間だ……こんな人間は初めてだな。さてと……。 トワは、今日の遅れ分を取り戻そうと、本に集中しようとした。 **** トワは、カイの声で目が覚めた。 「おはようございます! トワ様!」 元気いっぱいのカイのニコニコ顔が出迎えた。 トワは、目を擦り、ベッドからゆっくりと起き上がった。 そして、辺りを見回して異変に気がついた。 部屋に散乱していた本の山が消えていたのだ。 それに部屋全体がスッキリしている。 「な、これは?」 「へへへ。ちょっとお部屋をお掃除しました。トワ様、おひとりにしては広いお住まいで……それに、散らかし放題のようだったので」 「本はどこへやった?」 「本棚に戻しました……ダメでした?」 「い、いや……し、しかし……よくもこんなに……」 あれだけの本を片付けるのは容易な事ではなかったはずだ。 それを朝の時間だけで済ませてしまうなんて……。 トワは、申し訳なかったな、と頭をポリポリと掻いていると、カイは構わずにトワの腕を引っ張った。 「さぁ、朝ご飯もできていますよ! テーブルについてください!」 **** 「さぁ、召し上がってください!」 今度の料理は、トワも知っている料理。 ピッタである。 しかし、トワはそれを口に運んで、全く違う料理であることが分かった。 甘く柔らかい薄い生地。 それが包むのは、ベリーや葉物野菜で、サラダとパンがいっしょくたんになった不思議な食べ物だった。 「これは、クレープって言います。生クリームとフルーツが有ればもっと美味しかったのですが……」 う、うまい……。甘味と酸味、それにもちもちのパン生地の中にシャキシャキとした野菜の食感。 トワは、それは無我夢中で、ぱくぱく、食べた。 昨日のお好み焼きといい、驚きの連続。 確かに、人間を見下していたのは誤りだったと認めざるを得ない。 そんな事を考えていたトワの顔を、カイはじっと見つめている。 「な、何を見ている? お前は食べないのか?」 「ふふふ。トワ様が美味しそうに食べてくれるので、つい嬉しくて……」 眩しい笑顔。 溢れる幸せな空気。 トクン……。 トワの冷え切った胸に、温かい火が灯った。 懐かしい感覚。 そして、それは、こそばっこくて何故か恥ずかしい。 トワは、咳払いをして誤魔化した。 「……食べたらすぐに出立だ。お前も早く食べなさい」 「はい、トワ様!」 カイの元気な返事が心地よく耳に入った。 **** カイは荷造りが済んだリュックを背負い込み、玄関先に立った。 日の光を手で遮る。 トワは、カイに声を掛けた。 「カイ、これをもっていきなさい。勇者が持つべき聖剣だ」 トワの手には一振りの剣。 鞘には古代文字が刻まれ、柄の部分には装飾が施されている。 「剣ですか……」 それを受け取ったカイは、鞘から剣をスッと抜いた。 刃先がキラリと光り、カイの顔を照らした。 「……綺麗」 「聖なる力が宿っている。魔王を討ち滅ぼす力を秘めている。きっと役にたつだろう」 「トワ様、ありがとうございます。大事にします」 「うむ。では、いこうか」 「はい!」 カイは、剣を再び鞘に戻すと大事そうに胸の中にギュッと抱いた。 **** トワとカイは、小道に沿って丘を下っていく。 揺れる草木、透き通る空、鳥のさえずり。 遠くには山々が連なりてっぺんには雪がうっすら掛かる。 カイは、弾む声で言った。 「すごく綺麗なところですね!」 カイは、時折道端に咲いた花に手を伸ばして匂いを嗅ぐ。 そして、いい香り、と満足そうに呟く。 「天上界って、地面はもくもくした雲で、ギリシャ風の柱が立っているものかと思っていました。ああ、ギリシャというのは、元の世界の一地方で……」 「雲? ああ、天上って言っても空の上にある訳ではない。説明は難しいのだが……」 「そうなると……下界というのは、一体どのような世界なのでしょうか……」 「心配はいらない。ここの景色とそう大して変わらない」 「へぇ、そうなんですか! 楽しみです!」 満面の笑みで、スキップするように歩くカイ。 トワは、少し呆れ気味に苦笑した。 ……まったく、こんな少年のような男が勇者だとはな。 トワは、ふと気になっていたことを思い出した。 「そう言えば、一つ質問していいか、カイ? ここに来る前の事……」 カイは振り返りトワの顔を見つめた。 そして、無言で頷く。 「カイ、お前は、車にひかれそうになった野良猫を助け、身代わりとなって命を落とした……何故、そのような事をしたのだ?」 「……咄嗟だったので。無意識です」 「それは嘘だな……自分が死ぬのは分かっていたはず」 「え?」 驚きの表情。 しかし、直ぐにため息を漏らす。 「……そうですか、お見通しでしたか……」 「うむ」 トワは質問を続ける。 「一匹の猫を助けるより、自分の命を大切にし、その生涯で沢山の猫を救ってやるほうが理に叶っているのではないか?」 カイは俯いて考え込んだ。 そして、答えを出した。 「……そんな事……わかりません」 「わからない?」 「私は猫じゃなくても目の前で困っている人がいたら無意識に助けてしまいます。きっと理屈ではないんです」 「理屈ではない……」 「はい。きっと、私は、誰かが笑顔になってくれるのが嬉しいんです。私自身、そういう風にできているんです。私って、おかしいでしょ?」 カイは、へへへ、と頭を掻きながら照れ笑いをした。 「……確かに……変わってはいるな」 別におかしくはないがな、とトワは口の中で呟いた。 **** 森に入り小川を渡ると、二人の行く手にはほこらが見えてきた。 トワはそれを指さして言った。 「さぁ、あそこのほこらに入れば、もうそこは下界だ。一度入ればこちら側には戻っては来れない」 「トワ様は、ここまでですか?」 「ああ、そうだ。下界の人間達を魔族から守ってやってくれ」 トワは、名残惜しそうに立ち止まるカイの背中をポンと叩いた。 カイは、トワを見上げる。 「……はい」 寂しそうな表情。 でも、すぐにキッと唇を結び、覚悟を決めた男の顔になった。 そして、トワに深々とお辞儀をする。 「トワ様。いろいろ、ありがとうございました」 「うむ。頑張ってな」 「はい!」 トワは、振り返ると、来た道を戻って行った。
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