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 牧野尚也が久美子を見つけ、深々と頭を下げた。他の二人もそれに習ってぎこちなく頭を下げる。星野稔はすらりと背が高く、顔つきも精悍なスポーツマンという印象。三浦真里菜のほうは、しっかりと化粧を整え、くるくるとカールしたヘアスタイル、雑誌に掲載されているファッションモデルそのままのようなコーディネートで、いかにも田舎からめかし込んで出てきた、という印象だった。三人とも社会人一年目か。三人のこのファッションの若々しさは、大学時代の感覚から抜け出せないでいるのか、それとも学生気分を卒業したくないという願望の現われか、否、そんな小難しい若者世代の無意識の話ではなくて、今の時代のこの年代の男女としては普通のことで、ただ自分の感覚が古いのか。それが一番当たっているような気もする。  久美子は軽く会釈を返し、警戒心を和らげるために、ゆったりと微笑んだ。 「七条北警察の社といいます。まだ連絡つかない?」 「はい」と尚也が頷いた。 「亜衣、何か事故とか――」 「まだ何も解らないわ。でも、警察にそういう通報は入ってないわ。とりあえず、行きましょうか」  久美子は三人を促し、七条北署に向かって歩く。ちらちらとついてきているか背後を振り返る。その久美子の背後にぴったりついて尚也が歩いている。その後ろにいた三浦真里菜がそっと手を伸ばし、星野稔の手を握った。  なるほど、こちらは恋人同士ということか。一組のカップルに、プラス男女の友人関係。ということは、このカップルが《二人だけで遊びに行くのは不安だから》などという理由で、他の二人を誘ったケース。あるいは反対に、尚也と亜衣が二人だけでは不安だから、というケース。または、亜衣と尚也のカップルを成立させようと言う、四人のうちの誰かの目論見。  そこまで考えて、久美子は苦笑する。男女四人の純粋な友情を信じられなくなっている自分。恋愛だの友情だのに、純粋なんかありえないと思い込んでしまっている刑事。しかし、どうしてもそういう価値観に遷移してくるのが、疑うことを生業とする刑事という職業だった。そもそも純粋な関係性が築かれていれば、事件なんか起こるものか。  七条北警察署は、京都タワービルから目と鼻の先にある、くすんだ曇り空のような外壁の、五階建ての建物だった。長年に渡って雨風にさらされてできたくすみや汚れが、もともとの建物の色だったかのように堂々と居ついている。しかしこの署も来年の春には廃止され、下京中央署への統合が決まっており、署内は粛々と移転準備が進み、ずいぶんと物が減っていてもの淋しくなっていた。  区役所の受付コーナーに灰色のフィルターをかければ、警察署の受付ができ上がる。待合用の長椅子がわずかばかり並べられ、その正面に受付カウンターが待ち構えている。カウンターの内側が受付と庶務スペースになっており、夜になるとここが当直主任の待機場所となる。そのさらに奥の小部屋が、無線が集約されている通信室。だだっ広いホールは冷暖房の循環が悪く、風も抜けず、夏は暑く冬は寒い。  お盆の時期を前に、京都の玄関口である京都駅周辺における街頭薬物犯罪集中取り締まりの名目で、先週から署内には『街頭薬物犯罪対策本部』が特設されていた。薬物犯罪を専門に扱う本部組織犯罪対策三課と七条北署生活安全課の捜査員が常駐しており、連日連夜、管内の薬物事案の被疑者が検挙されてくる。売人も中毒者も片っ端から連れて来られるためにお祭り騒ぎのような夜もあれば、今夜のように静寂の夜もある。今は通信室のドアを開け放ったまま、当直主任の地域課長がうちわを片手に週刊誌を読んでいた。うちわの面には、生ビールを旨そうに飲む女優の笑顔。うちわをぱたぱたと仰いでいる姿は、なんとなく中年中間管理職ならでは寂寥感を漂わせていた。  ホールは静寂だったが、時折、京都府警本部から一斉に送信されている同時通報スピーカーの指令が、開けっ放しの通信室から漏れ聞こえてくる。《京都本部より洛西管内。交通事故入電中――》《綾部中央三号より、京都本部。先の侵入盗の件、現場到着――》
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