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救急車内には、担架の男にのしかかるような、黒い巨体。「誰にやられたんや!」威圧的な怒声。そして仄暗い低さを持った声。昨日から単独行動をとり、姿をくらましていた春日成二がそこに居り、その春日は一八五センチの巨体を折り曲げ、握力七〇キロ超の大きな右手で、被害者の胸倉を掴んでいた。「おい、やめろって!」救急隊員の制止も関係ない。
「ちょっと、何してるの!」
久美子は慌てて駆け寄り、春日の太い手首を掴んだ。春日は横目でちらりとこちらを見やり、「うるさい」と一言吐き捨てる。大概の連中は、春日のこと仄暗い声に気圧されるのだが、久美子は意に介さない。慣れだ。
「説明はあとで聞く。とにかく、手を離して。病院に連れて行かないと、聞けることも聞けなくなるでしょ」
春日は唇を噛むようにして手を離す。「行ってください」久美子は救急隊員を促し、救急車から春日成二を引っ張り降ろした。
「これ、見ろ」
春日が面倒くさそうに掌を差し出した。大きくぶ厚いその掌の上には、透明の小さなパケに入った、白い粉。
「どうしたの、これ――」おそらく、覚せい剤だ。
「あいつが持ってた。ポケットの中」
「どうしてあいつが、こんなものを持ってるって解ったの?」
「勘や」
「じゃあずっと、ガイシャを見張ってたってこと?」
「途中まではな」
「撒かれた?」
春日は舌打ちを一つし、「ふざけんな」と吐き捨てた。
「組対三課の連中に邪魔されたんや」
なるほど。春日は薬対本部の捜査員ではない。薬対本部に出向している組対三課が、自分たちの仕事を邪魔するなと釘を刺したがために、春日はガイシャを見失ったということか。その捜査員の思いはもっともだが、結果だけ見れば、春日がもしガイシャを見失わなければ、とつい思ってしまう。
「薬対本部は、ガイシャをマークしていたってこと?」
久美子の質問を春日は無視し、くわえた煙草に火をつけようとしたそのとき、「おい! お前ら!」と一つ怒鳴り声が聞こえた。声の主は機捜の倉田で、顔は怒りで真っ赤だった。現場をかき乱した所轄刑事への怒りか、それとも以前から確執のある春日成二への個人的な敵意か。
「何をボケッと突っ立っとんねん!」
「倉田さん、これ――」
久美子は春日の手から素早く覚せい剤と思しき袋を奪い取り、倉田に見せる。「ガイシャが持っていたようです。至急、七北の薬対本部に来てもらいます」
さすがに倉田も寝耳に水という顔をし、「シャブか――」と呟いた。
「だと思いますが」
「これ、ガイシャが持ってたんやろ。なんで解った?」
「知りません。それは春日が――」
久美子が振り返ったそこに、もう春日成二の姿はなかった。
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