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「アイツだ――」 「出たら?」 「出てよ」  そんなことまでしろと言うのか。警察官を便利使いする彼女に、さすがにちょっとムッとしながらも、久美子は遠慮なく手を伸ばし、着信ボタンをスワイプする。面倒くさいが、しかし不毛な押し問答をする時間のほうがもったいない。 「もしもし」 《もしもし――?》 「島本裕也さんですね? こちら京都駅前交番です。今、梨絵さん、ここにいるんですけれど、迎えに来てもらえますか?」 《えっ――梨絵、交番にいるんですか――》  彼氏の戸惑った声を掻き消す金切り声で、「ちょっと、何言ってんの!」と彼女はスマホを引っ手繰った。 「裕也? 私がどうして怒ってるか、解ってるわよね? ちゃんと謝る気になるまで、迎えに来なくていいから!」  帰ってもらわないと交番業務が停滞するのだが。これではさすがに公務執行妨害だと思いながら、立ち上がって横山の傍まで移動する。「何か、すまんねぇ」キーボードを人差し指だけで叩いていた横山は、ゆっくりと制帽を脱いで頭を掻いた。 「いきなり入ってきて泣き出すもんやから、てっきり痴漢被害か何かかと――」 「そうじゃなくてよかったと思いましょう」  久美子は穏やかに言い、腕を組んで彼女の後姿を見やる。「バカじゃないの」「何言ってるの」と怒鳴り散らし、涙を振り飛ばすかのように勢いよく頭を振る。溶けた化粧は黒い涙となって頬を伝う。綺麗に整えられていたはずの巻き髪もぼさぼさだ。 「それより、川端さんに申し訳なくて」久美子は言い、彼女の背中を通り越して交番の外に視線を移した。交番長の川端警部補はこの暑い最中、女の子が泣き喚いている交番内に来訪者を入れるわけには行かないと、表に立って申告対応しているのだった。京都の夏は暑い。特に今夜は宇治川の花火大会が開催されている。浴衣姿の観光客でごった返す京都駅は、天然サウナの様相だった。 「――うん、解った。ごめんね、私こそ」  しばしの沈黙のあと、やっと、穏やかな口調で彼女がそう言った。電話がかかってきてから十分ほど経過している。ちょっと押し黙っていたと思ったら、その結果がこれか。やはり、警察が関わるような話でなかったらしいと呆れる反面、それでよかったのだとも思う。本当なら、警察は暇なほうがいいのだ。「じゃあ、今、駅前の交番にいるから、迎えに来て」と勝手に交番を待ち合わせ場所に指定し、電話を切った彼女に、久美子はゆったり話しかける。 「仲直り、できた?」 「しました」 「自分たちの話し合いで、ちゃんと解決できるでしょ。警察は泣く場所じゃないし、交番は待合室じゃないからね」 「はいっ! すみませんでした」  先ほどまでの涙顔が嘘のように、ケロっとした表情でさらりと言ってのける。自分もこの子の齢のころ、こういう態度だっただろうか。久美子は自省したが、否、少なくとも恋愛のもめごとで交番に駆け込むようなことはしなかった。そもそも、あまり恋愛に縁のあるティーンエイジャーではなかったのだけれど。
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