(1)

3/15
前へ
/42ページ
次へ
 さらに十分ほどして息を切らして駆け込んできたカレシは、どこで調達してきたのか、小さなバラの花束を持っていた。それに対する彼女のほうは、さっきまでの剣幕なんかどこ吹く風で、勢いよく彼の胸に飛び込んでいった。 「ごめんね」「俺のほうこそ、ごめんな」「大好き」「俺も」  アホらし、と横山が小さく呟き、ノートパソコンのキーボードを叩く。《来所二十一時、退所二十二時。喧嘩口論の申告事案として対処、事件性なしで解放。扱い終了》という、あとに何も残らない内容でも、とにかく事案を扱えば必ず記録は作成しなければならない。 「いやあ、暑いなあ、今日は」  キラキラ輝く笑顔で会釈を寄越し、出て行ったカップルと入れ違いに、川端警部補がハンカチで額の汗を拭いながら交番内に戻ってきた。夏用の制服はスコールに打たれたかのようにぐっしょり濡れていて、入ってくるなり「寒いな、おい」と身を震わせる。「お疲れ様でした」と久美子は冷房の温度を調節しながら言った。川端は「ほんまやで」と笑う。 「ほな、ヨコさん。わし、着替えて帰るわ」 「ご苦労さんです。明日は休みでしょう?」 「うん。家族連れて、墓参り行ってくるわ。お盆には行けそうにないしな。いつもやったら毎年、墓参りのあとに息子をUSJに連れて行ってやるんやけど、今年はなしやな。息子、ジュラシックパークが好きでな。あれ乗ったら、毎回水浸しや。一時間以上並んで、落ちるのは一瞬、水に濡れてなあ――ハハハ。あ、社さんも、お疲れさん。また何かあったらよろしく」  それじゃ、お先に。川端は交番の奥へと姿を消す。  そうか、もう墓参りの時期か。今年のお盆も、やはり帰省はできそうにない。生まれ育った千葉から、大学入学を期に京都に移って以来、まったくと言っていいほど帰省していないのだが、帰省そのものが面倒だった学生時代とは違い、社会人になってからは多忙ゆえに帰省することすらままならなくなった。その上、感染症の流行も重なり――こんなことなら、学生時代にもっと帰っておけばよかったと今さらながら後悔しているが、当時はこうなるとは思いもしなかった。警察官は親の死に目にも会えないと言うが、本当にそうなるかもしれない。刑事捜査員になってからは特にそう思う。自分がひとつ年を重ねるごとに、両親もひとつずつ高齢になっていく。ときの流れは止められるものではなく、その流れの中にいることが、すなわち生きているということなのだったが、だからこそ生きているうちにできることは限られているということを実感する。  帰省のことを考えると、あの三月十一日を思い出す。あの日、当時配属されていた交番の待機室で見ていたテレビ中継の、津波が陸地を浸食していく映像は忘れられない。人間の前に立ちはだかった大自然の猛威。人の意志も、科学も常識も、何もかもが飲み込まれていく様を、ただただ眺めているしかない自分。遠く離れた京都という土地にいては、まったく現実感のない映像ではあったのだが、しかしそこに映っていたのは間違いなく崩壊していく文明社会であり、失われていく生命だった。それをとっさに現実として受け入れるには、あの震災はあまりに唐突過ぎた。  実家には幸いなことに直接的な被害はなかったと、電話の向こうで母は言った。だからと言って、帰ってみないことには本当に安心することはできない。しかし、それを理由に帰省するにしても、当時から日々の仕事は多忙を極めていた。突然の大震災に衝撃を受けながらも、直接的な被害もなく今一つ実感の湧かない西日本では、相変わらずの日常が流れており、犯罪の発生もまた然りで、それを理由に帰省しないまま一年、また一年と歳月は過ぎていく。地域課勤務を経て生活安全課少年係に移り、最低でも二十件以上の担当事件を途切れることなく常時抱え、その事件各々の背景にあるそれぞれの関係者の感情と出逢う日々に区切りをつけられずにいる自分。  せめて、今年中には何とかで帰省したい。毎年、年明けとお盆にはそう思いながらも、結局、遠い土地から家族の身を案じることかできずにいる自分。今なお、震災関連の募金箱を見るたび財布の中からわずかな小銭を投じるくらいのことかできないでいる自分。そうこうしているうちに、今度はこのコロナ騒ぎだ。感染に関する真偽入り混じったさまざまな情報が錯綜し、社会が混乱する中、県境を跨いだ移動に制限が掛かり、緊急事態宣言なるものが全国的に発令される事態にもなった。感染症の恐怖とともに、社会や経済が機能停止する中で、潜在していた個人的、社会的な問題が顕在化し、報道されないような小さな悲劇を、刑事という職業柄、目の当たりにする毎日だった。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

40人が本棚に入れています
本棚に追加