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「クリス。ずいぶん布告を真剣に見ていたな」
張り紙に背を向けて歩き出したソフィアの前に、長身の男が立った。
青薔薇騎士団の副団長、アレッシオ。詰め襟の青の軍服の肩に、黄金の髪がかかっている。瞳は強い色合いの紺碧。口の端には常に笑みを湛えている、陽気な青年。美丈夫である。
ソフィアとは士官学校の先輩後輩にあたり、入学した一年後に入れ替わりのように卒業した五歳上。
役割は魔弾の狙撃手であり、剣を扱っているところをソフィアはこれまで見たことがない。
「もしかしてクリス、参戦するのか?」
目を輝かせて尋ねられる。
ソフィアは固い表情のままほんの少し眉を寄せて、告げた。
「もちろん」
ソフィアの声は、仕事で指示を遠くまで届かせるために腹から出す鍛え方をしており、食堂のざわつきの中にあっても加減していてさえ響く。
辺りがすうっと静まり返り、視線が集まる。
アレッシオもまた、驚いたように目を瞬いていた。
「そうなんだ。興味無いと思っていた。クリスも、王女様との結婚には魅力を感じるのか?」
所属が違えど「団長」であるソフィアの方が、本来はアレッシオより立場が上である。しかも周囲が知らぬこととはいえ、中身は王女。
かたやアレッシオは年上で先輩。
結果としてその距離感は少し曖昧で、こうした仕事を離れた場ではやや砕けた口調で世間話をふられることもある。
(王女様との結婚に魅力というか……。王女は私自身なので結婚はできませんが。夫には「自分より強い相手を」と条件を出してしまったので、私自身がその判定に関わるのは当然のこと。つまり、一般参加して試合を勝ちつつ相手を見定めます)
途中で負けてしまえば、後は成り行きを見守るのみだ。だが、ソフィアには負けない自信があった。あまつさえ、自分が優勝するかもしれないと思ってもいた。その場合、それはそれ。「私に閨で殺されないくらい強い男はいないようです」と言って、婚約・結婚・子作りをすべて先延ばしにする気満々であった。むしろそれが本来の目論見と言っても過言ではない。
とはいえ、たとえ相手がアレッシオであっても、そこまでの事情を正直に打ち明けることなど、できはしない。
「王女との結婚そのものには、さほど興味はない。腕試しとして、出てみたい」
「ああ。なるほどね。そういうことなら、クリスの性格上有り得そうだ。しかし、優勝してしまえば王女との結婚が自動的に決まることになるから……。クリスに思いを寄せていた王国中の老若男女が大失恋で涙にくれる。間違いない」
「大失恋? また、おかしなことを。アレッシオ副団長はいちいち大げさだ」
相手にする気はないとばかりに、ソフィアは受け流そうとする。そういうとき、目をそらすよりは見てしまう性分で、このときはアレッシオと視線を絡めてしまった。強い眼力に、まともにあてられる。
一瞬、息が止まった。真摯な紺碧の瞳に、吸い込まれかけた。
「大げさなことなんか何も言っていない。もしクリスの結婚が決まったら、いまクリスの目の前にいる男も悲嘆に暮れて仕事が手につかなくなるほど泣く」
「誰のことを言っている?」
「俺」
(……冗談が尽きない男だ)
何を言っているのか、と笑い飛ばしたい。いつものように、同僚として。
それでいて、その目に見つめられると、どういうことか言葉に詰まる。口ほどにものを言う瞳に、熱情。
落ち着かない気分になり、ソフィアは視線を外して食堂を見回す仕草をした。
「アレッシオ副団長。それほど言うのならば、あなたもエントリーしてはいかがだろうか。勝って私の結婚を阻止するが良い」
「なるほど。たしかに、クリスを王女殿下に奪われないためには、それが一番良い」
即答。
横顔に視線を感じる。
(どうして見ているんですか。珍しくもない、私の顔を)
「狙撃兵のあなたが、私に剣で勝てるとは思えないが」
「白兵戦最強は伊達じゃないって? 白薔薇の君」
役職にちなんだ呼びかけに、ソフィアは思わず顔を上げてアレッシオを見てしまった。視線がぶつかる。
アレッシオは、不意に表情をほころばせた。花が薫るほど甘やかな微笑。
「俺も参戦しよう。王女殿下をこの腕に抱くために」
ソフィアは青の瞳を瞬いた。響きの良い美声が、決然として告げた言葉はクリスに関してではなく。王女殿下を……。
口の中が干上がって、声が出てこない。視線が落ち着きなく乱れ、アレッシオの引き締まった肩から腕の流れ、服の上からもわかる硬そうな筋肉を盗み見るように見てしまう。
この腕に抱くために、と言った。
(と、当然だ。そういう催しなのだ。勝者は王女の夫となり、その体を組み敷いて世継ぎをもうけるの)
抱かれる王女は――自分だ。
突然その事実が真に迫ってきたせいで、全速力で走り込んだときのように心臓がばくばくと鳴り始めた。同時に、妙に納得いかない気持ちがむくむくと胸の内で育ちつつあるのも自覚した。
(アレッシオ。私を……、男として振る舞う私の結婚を阻止したいようなことを言ったそばから)
「アレッシオこそ意外です。王女に興味があるとは思いませんでした」
自然に、自然に、と自分に言い聞かせながらその言葉を口にして、アレッシオの表情をうかがう。
アレッシオは、いつもと変わらぬ、底抜けに明るい人好きのする笑顔をしていた。
「将来的に戴く相手だ。そのひととなりに興味はあった。ずっと以前から。なぜ人前に出てこないかの理由も含めて」
「なるほど。あなたの立ち位置なら王宮の出入りは制限されないでしょうし、噂話を耳に入れてくれる相手もいそうですね。それで、王女殿下について、何か情報でもつかんでいますか?」
さりげなく。
絶大な緊張を押し込めながら、ソフィアは余裕のあるふりをして笑みを浮かべて尋ねた。
アレッシオは「さてね」と問いかけを流し、片目をつむって笑った。どことなく艶やかで、目には毒と感じる笑顔だった。
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