序章 北東の風

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大臣は、なるべく重々しい声で叱責したつもりだった。しかし、効果はまったくなかったようで、男は膝をついたまま、くつくつと笑っていた。 「謙虚な考え方をお持ちのようで。さすが、聖典を諳んじるだけはある。陛下は神の偉大さを理解しておられるのですなあ。このことをご報告すればきっと、女神様もお喜びになるでしょう。ですが」 青白い顔から嘲笑が消える。 「今おっしゃったことは、二度と口に出さぬようお願いいたします」 続けて、男は冷たい声で、すらすらとこう述べた。 「王が王としてこの地に君臨できるのは、その御身に女神の血が流れているから。尊き神の御子だからこそ、人の上に立つことが許されているのです。  我々があなた様に忠誠を誓うのも、そのため……。天の声を人々に広めることが私たちの使命です。民の声を聞き、その祈りを神に届けるべき存在が、ただの卑しき人間などであっては困る」 最後の言葉は、もはや呟きに近かった。 「……もっとも、陛下が月のごとき弱き光の下にお生まれになったのであれば、話は違いますがね」 男は軽い口調で付け加えた。笑顔が戻ってはいるが、言葉にはっきりと軽蔑が表れている。  大臣は手燭を握りしめたまま、しばらく呆然と男を見下ろしていた。 (一国を統べる王に向かって、何という言いよう。これではまるで、宰相ではないか) 苦言を呈することが悪いわけではない。ただ、立場が問題なのだ。目の前の男は、王の求めに対して答えを述べる、ただの使い走りにしかすぎなかった。  いくら寛大な王とはいえ、このような無礼な振る舞いを許すはずがない。  王はまったくの無表情で男の話を聞いていたが、ややあって、視線を男の方へ向けた。 「あい分かった。そなたの話、よく肝に銘じておこう」 この時、男が自分を見て不敵に笑ったことに、大臣は気付かなかった。 「しかし、陛下……! 」 大臣が不満げに声をあげたのに対して、王はうるさそうに手で払った。 「今はこの者の話を聞くのが先じゃ。一刻も早く、この状態を何とかせねばならぬ」 そこから先は、流れるように事が進んでいった。男の低い声と、時たま口を挟む王の声を聞きながら、大臣はいいようもない不安が、その身に押し寄せてくるのを感じていた。  
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