第二章

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あの日以来、初めて入った夏生くんの部屋は、長らく空気を換えていないにおいがした。ずっとカンヅメで作業をしていたのだろうか。 カップ麺のゴミが机の上に置いたままになっていて、栄養の偏ったものばかり食べているのではないかと心配になる。 「丹羽さんには、自分を責めてほしくないんで……」  夏生くんは、お前を長居させるつもりはないと言わんばかりの速さで本題を切り出した。 「これが、この間掲載された新作です」  製本されていない、余白に見たことのない印が沢山ついた紙の束を手渡される。 こういうものを見ると、謎に包まれた榊木夏生の素顔を知っている優越感に少し心が躍る。同時に、夏生くんも俺の仕事風景を見て、同じようなことを思ってくれていたら、なんて虫のいい想像をしてしまった。 『イノセント・ダーリン』と、花があしらわれた題字がでかでかと踊るカラー表紙。  いつもの榊木作品に共通する、きめ細かな作画は健在だが、この新作は何かが違う。  黒髪の青年と、茶髪の青年。表紙だけではどちらが攻めか断定できない。二人ともどこか似た憂いを帯びて、不安げな表情だ。 王道スパダリの風格のあるキャラと、健気なキャラのコントラストがはっきりしていた過去作とは、印象ががらりと変わっていた。 「引かないでくださいよ……?」  表紙をまじまじと眺める俺に、夏生くんがもう一度念を押す。 「引かない。絶対」 誓うように言葉を口にして、紙をめくる。最初は、隣で俺の顔色を窺う夏生くんが気になったけれど、数ページ目を読む頃には、それも気にならないほど物語に入り込んでいた。 少し冴えなくて、口下手で、でも心の優しい青年と、彼を理解して寄り添う青年。キャラ設定だけを見ても、今までと全然違う。 夏生くんは、新境地に達したんだ。しかも成功してる。これは名作になる予感がした。 しかし読み進める中で、俺はもどかしい既視感を感じ始めた。 『俺、人と付き合ったこと、ないんです』 『唇って、こんなに柔らかかったんだ』 『一緒に気持ちよくなるには、どうしたらいい?』
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