第二章

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どれも間違いなく身に覚えがある。それに、黒髪の青年のはっきりした眉毛や、右頬のほくろなどが、俺の特徴と合致していた。  そして二人が向き合って互いを慰め合うシーンで、小さな違和感が大きな確信へと変わった。 「これって……」 「これで……分かったでしょう。俺があなたにこれを見せたくなかったわけ」  なるほどな。突然の形勢逆転で、さっきまで全くなかった余裕が生まれる。 目を伏せる夏生くんを覆うベールを剥ぐように、俺は黙ってページをめくった。  そこには俺をモデルにした青年の上でもう一方が脚を開いて腰を沈める様子が、見開きで描かれている。 細かい線が象る写実的な肉体美が艶めかしくて、思わず唾を呑み込んだ。この作画の緻密さはまさに榊木作品最大の持ち味だ。 でもこの場面は、実際に俺とした情事のその先の展開だ。ということは……。 「これが、夏生くんが俺としたいこと?」 思いの外、意地悪な声が出た。よく仕事で言うようなセリフだったからかもしれない。 和菓子みたいに透き通った耳を取れそうなほど赤くした夏生くんが小さく頷く。その思いに応えたい。俺も同じだと、この溢れる思いを伝えたい。でも、どうしたらいい。 俺の中で、スパダリの帝王とヘタレ三十四歳男性がせめぎ合う。 こんな時、シナリオがあれば……。 いや、ホンなら今手に持っているじゃないか。このストーリーが夏生くんの願望なら、俺はそれに合わせればいい。 「これ、声に出して読んでみてもいいかな」 「えっ……、いい、ですけど……」  夏生くんの声が僅かに上ずる。その期待を、超えてやりたいと闘志に火がついた。 『最高に可愛くて……おかしくなりそう』 『繋がることって、こんなに気持ちいいんだ』 『俺、もっと夢中になってもいい、かな』  息を弾ませながら読むと、夏生くんがうぶに反応を見せる。それが可愛くて、俺の芝居はいつもより少し過剰になっていく。  漫画の中で、二人の顔が近くなる。俺の演じているキャラが、覚悟を決める顔をした。  そうだ。俺だって、覚悟を決めなきゃいけない。だってこの漫画が終わった先には、筋書きなんてない。自分の物語は、自分で作っていかなきゃいけないんだから。 「ダメだ。これは最後まで読めない」 俺が朗読をやめると、夏生くんがおもちゃを取り上げられた子供のような顔をした。 その表情があまりにも愛おしくて、今すぐに言おうと息を吸う。でも怖い。肺は膨らんだはずなのに、胃は今にもしぼんで、時間が経ったヨーヨーみたいになってしまいそうだ。 「物語がどうなるか知る前に……、自分の言葉で言いたい」 でも、もう揺るがない。仮面を取った俺が言う。 「夏生くんのことが、好きだ」  吸い込まれそうに大きな瞳を、真直ぐに捉える。言えた。 そして俺は震える手で、最後のページをめくった。
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