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「そういえば丹羽瑛さん、お受けになるそうです。真白役は丹羽さんで、カオル役は同じ事務所の後輩でショタボに定評のある方がやってくださるみたいですよ!」
そういえば駅前にクレープ屋さんできたらしいですよ、くらいのテンションで仲村さんが伝えてきた内容は、俺にとって今年一、いや下手したら一世一代のビッグニュースだった。
俺はあの日からさっそくオタクぶりを発揮して、彼のCDを何枚か購入し、出演アニメを視聴し、MCを務めるラジオも聞いている。そしてそのどれもが、俺の想像を遥かに超えて素晴らしかった。
卓越した演技力、低音ボイスの持つ説得力、ラジオでにじみ出る温かい人柄。
その丹羽瑛が、俺のオファーを受けただって? しかもあのエロアニメの?
思えば、春花に借りたCDもかなり過激な内容だったし、あまり仕事を選ばない人なのだろう。だとしたら、この事実自体は、そんなに驚くことではないのかもしれない。
でも、俺が軽々しく口走った名前が、一つの責任を生んでしまったことが、申し訳ないやら畏れ多いやらで、俺は素直に喜んでいいのか分からなかった。
「で、来月アフレコ始まるので、初回は先生も顔出しましょうね」
「は? 俺が⁉ 嫌ですよ無理です!」
定期的に夜のオカズにしている憧れの人に、あの作品を見られるだけでも死ぬほど恥ずかしいのに、俺自身の自我を剝き出しにした醜い姿をリアルで晒すなんて、絶対に無理だ。
「会いたくないんですか? あきしゃまに」
そりゃあ、俺の書いたセリフが、あの声で色づけられるところは見てみたい。それに丹羽瑛がどんな人なのか、普段はどんな風に話し、何を好んでいるのか、気にならないと言ったら嘘になる。でも、俺には一つ、丹羽瑛を追いかける中で決めたルールがあった。
それは本人の外見を見ない、ということ。
自分の中で完成してしまった「丹羽瑛」像と、本人の雰囲気が全然違っていたら、俺はきっと落胆してしまうだろう。見た目が想像と違っていてがっかりするなんて、すごく失礼なことだと思う。
だからネットで顔を検索するのはやめた。そのルールを破ってまで、会いに行くというのはやっぱり憚られる。それに、浮ついた好奇心から仕事現場を冷やかすのも気が引けた。
「せっかくだけど今回は遠慮してお……」
「でも、先生が指名なさったんだから、ご挨拶に行くのが最低限の礼儀じゃないんですか? ま、私があきしゃまを生で拝みたいってのも、少しはありますけど……」
ここに一人、完全な冷やかし発見。
「どう考えても後者でしょ。後者が八割、いや九割でしょ!」
「違います! 私は先生のためを思って……」
そして現在。スマホのスピーカーからは、通話が切れたことを示す電子音が流れている。
俺、仲村さんと何を話してたんだ?
ただ一つはっきりしていること。それは俺が有名大卒オタク編集者の辣弁に、あっけなく根負けしてしまったという事実だけだ。
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