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幼少時代
目の前の大きなスクリーンでサトシが世界の危機をかけて、必死に水底から宝石をすくい上げていた。マナフィというポケモンのため深い水底に潜り、宝石をいくつか持ってきてパズルを完成させなければならないのだ。サトシは、わずか十一歳という年齢からしては重い命運を肩にかけていた。彼の雄志は観客である私の心を燃やしていた。
これからどうなるの。宝石はあと何個。まだ一個ある。手からこぼれ落ちる大きな四角錐状の宝石。ああ、もう無理だ。嘆けども観客の応援はサトシに聞こえない。
ぐー、とそこで隣からいびきが鳴り響く。
背筋に伝っていた汗が瞬間冷凍される。ばくばくと鳴る鼓動が止まった。
ポップコーンに手を伸ばしスクリーンの中のサトシに目を細めながらぽりぽりとかみ砕く。父のいびきにぽりぽり。父の晩酌のようなテンションで微笑ましく映画を見つめていた。
こっち側はいつだって平和だった。
暗闇に照らされたスクリーンの光は人工の光が強すぎて目に痛いくらいだった。対してこっち側の闇は柔らかくわたしたちを包み込む。
サトシが世界を救って、次の冒険へと踏み出すところで映写機は画面へ向こう側の世界を映すことをやめた。
圧倒的な暗闇がこちらの世界を覆い尽くし余韻が目尻にためこまれる。瞬間、わたしは不安で埋め尽くされる。この世に物語ひとつとして存在しないのだと知らしめられ不安が膨れて恐怖に変化する。私の手は震えていた。全て食べきったはずのからっぽの容器に間違えて手を差し出しカップに手を突っ込んでしまう。
父がそこで私の手を覆いかぶすように手を握った。血管がうきでていて皮膚ががさがさしていた。骨張っていて。大きくて。少し汗で冷えている。目を閉じていたのも暗闇の中でも分かる。これは父の掌の温度だ。
映画館の明かりが世界を照らして、隣の父を見るともう眠ってはいなかった。
「パパ、寝てたでしょ」
いひひと歯を見せて笑うわたし。
「寝てない寝てない。ちゃぁんと見てたよ」
「じゃあ、見所教えてよ」
「なんかレンジャーみたいな人が出てきたところ」
それは、冒頭十分くらいのシーンだ。
わたしは頬を膨らませて。
「やっぱり見てないじゃん」
それでも、わたしは父の頭をなでる。
いつもお疲れさま。
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