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「まさか、あんたが一人暮らしなんてねえ」
ステアリングを握るお母さんは、感慨深そうにそんなことを言う。
車が走行する揺れのせいで、助手席からはリンゴが入ったビニール袋が、かさかさと震える音が聞こえた。
「ちゃんと部屋の掃除とかしないとだめよ? あんたは何回言っても散らかしっぱなしなんだから」
後部座席で私は「わかってるもん」と弾んだ口調で返し、窓の外を見やる。高いビルやら見たことないお洒落な服屋が立ち並び、見るからに都会の光景だ。
物心ついたときから、私はとんでもない田舎に住んでいたから、いっそうこの景観は新鮮に感じられる。
今まで住んでいた実家は周囲を田んぼやら畑やら木々に囲まれていてどこをみても緑一色だった。おまけに家は古く、歩くたび廊下はきしみ、どこからともなく隙間風が入ってくるような気がした。
お父さんもお母さんも車で職場まで通勤していて、帰りはいつも遅くなるから私は古ぼけた広い家に一人で留守番してなくちゃいけなかった。それだけでも気味が悪くて嫌だったのに、近所には廃屋と寂れた空き家ばかりでさみしかった。
でも、そんな日も今日で終わるのだ。
私は、この春からここ、大都会である東京の高校に通う。実家から通学しようものなら、電車で往復四時間半もかかってしまう。そんなわけで、私はこの機会に学校の近くにアパートを借りて、一人暮らしをすることになったのだ。
内見のときに一度みたアパートは、今まで住んでいたところに比べたら狭かったけれど、リノベーションしたようで内装はとてもきれいだった。そして、表札こそ確認しなかったけど、隣の部屋のポストには新聞が挟まっていた。
隣の部屋には人が住んでいるということだ。
初めて、お隣さんと呼べる人ができる。
そう思うと、今まで近所づきあいというものに全く縁がなかったためか、私の心は躍っていた。
「初めてのお隣さん、どんな人だろう」
「変な人じゃないといいけどね」
お母さんの言葉に私は「たぶん大丈夫でしょ」と明るく言葉を返す。
浮き足立った気持ちで、窓越しに都会の景色を堪能していると、すぐ横の車線を同じスピードで走る赤いスポーツカーが目に入る。
運転しているのは垢抜けた格好をしたお姉さんで、初めての隣人もあんな風にお洒落な人だったりするだろうか、と私はまだ見ぬお隣さんに想像を巡らせた。
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