大国主命の災難

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 白ウサギの話を聞き終えるやいなや、刺国若比売(サシクニワカヒメ)は、天上界の高天原へ昇った。  我が子を救うために、遠慮などしていられぬ。  刺国若(サシクニワカ)は、造化三神(ぞうかさんしん)の一人である神産巣日神(カミムスビノカミ)に助けを請うた。  造化三神とは、天地開闢(てんちかいびゃく)の時、つまり天と地ができた時に、最初に高天原に成りました三神であり、高天原では最も古株の神である。    高天原では、かつて伊邪那美命(イザナミノミコト)が出産時の火傷が元で命を落として以来、火傷治療の研究に力が注がれていた。  伊邪那美命(イザナミノミコト)は天地開闢期に、造化三神(ぞうかさんしん)に続いて成りました神世七代(かみのよななよ)の7代目女神であり、日本列島を産んだ尊い神である。    須佐之男命(スサノオノミコト)は、この伊邪那美命の息子の一人であり、大国主命は須佐之男命から六代目にあたる。元をたどれば伊邪那美命の血に繋がる。    話のあらましを聞き終えた神産巣日神(カミムスビノカミ)は、小さくため息をつくと言った。 「兄弟の諍いとは、手に余ることよ」  同じ父を持つ兄弟ということは、大国主命だけでなく八十神もまた、この血に連なるのだ。 一方の言い分のみで、事を起こすのは控えねばならない。    とりあえずの処置として、神産巣日神は、高天原きっての火傷の名医である、赤貝使いの𧏛貝比売(キサカヒヒメ)(はまぐり)使いの蛤貝比売(ウムガヒヒメ)を地上に向かわせることにした。  二人の女医神を伴った刺国若(サシクニワカ)が地上に降り立つと、我が子は木立の間に倒れていた。母は取り乱すことなく、二人の女医神に向かって頷いた。    女医神らは、微動だにしない若者の傍らに寄ると、火傷の具合を丹念に確認した。  二言三言、言葉を交わすと薬の調剤に取り掛かった。    𧏛貝比売(キサカヒヒメ)は丁寧に赤貝の殻を削った。  蛤貝比売(ウムガヒヒメ)が蛤から白い汁を絞り取った。  削り取った赤貝の粉末に、蛤の白い汁を少量ずつ垂らして、ゆっくとかき回しながら溶いていく。やがて、とろみの強い乳状へと変わった。  この乳状液を二人は自らの(てのひら)に広げ、大国主命の火傷でただれた肌に、そっと薄く伸ばすことを繰り返した。何重にも塗られた乳状液の下では、瞬く間に肌が再生されていく。    大国主の閉じられた瞼の下の僅かな動きを認めて、刺国若は近くの木の蔭にその身を隠した。母を煩わせたと知れば、我が子が気を落とすであろうと案じた。  大国主命は目を閉じたまま、液の冷たさと手の温もりが、交互に繰り返される感覚に心地よさを感じていた。やがて目を開けた。  美しい女医神が大国主に微笑みかけていた。 「よく耐えられました。もう心配ありません。ご安心なさい」  大国主命は、顎を引いて治りかけている腹や腕を見たり、顔を上げて二人を見たりを繰り返した。  そして、涼し気な切れ長の目でじっと女医神を見つめてから、口元を綻ばせると、満面の笑みで感謝の言葉を述べた。  出雲の神殿で侍女たちの心を掴んでいた笑みだ。二人の女医の心をも掴んだとて不思議ではない。 「いつでもお助けしますから、声をおかけになってね」  名残惜しそうに、大国主命を振り返りながら高天原へ上がって行った。  
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