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根の堅州国《かたすくに》
木国は、その名の通り、鬱蒼と樹木が生い茂る森林の国だ。
後の世では紀伊国を経て、和歌山県と呼ばれている。
木国を治める大屋毘古神は、その若者に困惑していた。
木国の神殿を訪れ、保護を願い出た若者は大国主命と名乗った。出雲神の妻・刺国若比売の息子であった。
この若者に害なす兄神たちから、匿ってほしいと願い来た。
若者が刺国若の息子の証として持参した首飾りは、かつて大屋毘古が刺国若に贈った品だった。
木国では、美しい石が採れる。内側が鮮やかな緑色の石だ。その断面に浮かぶ縞模様を孔雀の羽に見立て、孔雀石と呼ばれた。
この孔雀石を小さく平たい四角形に加工し、いくつも繋ぎ合わせた首飾りは、上品な華やかさを持つと高評を得ていた。
出雲の神殿を訪ねた際に、出雲神の天之冬衣神から妻の一人である刺国若を紹介された。
二言三言挨拶を交わした後に、手土産として贈ったのが木国ならではの孔雀石首飾りであった。たいそう気に入っておられたようだが、それだけの関わりだ。
頼り頼られる間柄ではない。
大国主命は、なるほど、精悍な顔立ちの若者だ。神殿の女官らは、その姿を垣間見ようと落ち着かない様子だが、そのようなことは構わぬのだ。
大屋毘古は、国境を見張る烏からの注進に憂慮していた。
弓に矢をつがえた若者たちが国境を越え、口々に大国主命の名を大声で呼ばわっているという。
カラスが誰何すると、出雲の八十神と名乗った。
「大国主命を我らに引き渡されよ。さすれば貴国に害なすつもりはござらん」
鬼気迫るものがあったという。
大屋毘古は他国のお家騒動もどきに、巻き込まれたくはなかった。ましてや、須佐之男命に連なる一族だ。
双方いずれにも肩入れするつもりもない。
大屋毘古は、大国主命を神殿の裏山の森へと導き、生い茂る木々で陽の光も届かぬケモノ道を、右へ左へ誘った。
一本の太いブナの木の前で立ち止まると、根本の枯れ草を手で寄せた。そこには、大きな穴が開いていた。
木国を治める者だけが知りうる、地の底への出入り口である。
大屋毘古は振り返った。背後にいた大国主は好奇の眼差しで、その穴を覗き込んでいた。
「この穴は根の堅洲国へ通じておる。根の堅洲国の須佐之男命ならば、そなたに助言し、救って下さるだろう」
大国主命の涼しく切れ長な瞳は、もの問いた気ではあったが、大屋毘古が軽く背を押すと、これまでの礼を述べ、穴に身を沈めた。
大屋毘古は、すぐさま、枯れ草でその穴を元通りに隠した。
「検討を祈っておるぞ」
根の堅洲国への出入り口に向かって呟き、安堵のため息をついた。
厄介者払いを終えた大屋毘古神は、神殿へ戻った。
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