根の堅州国《かたすくに》

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 「どなたかおられまいか。取次を願いたい」  男の声だった。  整った顔立ちの若い男神だ。 「ワタクシは須佐男命(スサノオノミコト)の娘、須勢理毘売命(スセリビメノミコト)でございます。何用でごさいましょうか」  若い神は、出迎えの女人が須佐男命の娘だと知り、引き締めていた口元を綻ばせ、微笑みかけた。 「このように麗しい御方が、須佐男命の娘御であられるとは。いや、これは失礼な物言いでございますな。お許し召され」  若者は大国主命(オオクニヌシノミコト)と名乗った。  男神は涼し気な切れ長の目で須勢理毘売をしばらく見つめると、思い出したように、所持していた白い袋をまさぐった。  中から取り出したのは、緑鮮やかな孔雀石の首飾りだった。 「これを」と言って、差し出した。 「まぁ。とても綺麗な首飾りでございますこと」  須勢理(スセリ)は首飾りを受け取った。  美しい首飾りをうっとり眺めてから、尋ねるように大国主を見上げた。  大国主は問いかけに答えるごとく、頷いた。  須勢理はゆっくりと首飾りを身に着けた。  お付きの侍女は大国主の涼し気な瞳の奥に、戸惑いの色を見た。  人の心の動きに敏感な須勢理ではあったが、視線を下に向けていたので、大国主の表情を見逃してしまった。  大国主はその首飾りを贈り物として差し出したのではなかった。    刺国若比売(さしくにわかひめ)の息子である(あかし)として、須佐之男命へ取り次ぎを願ったつもりであった。  しかし、須勢理に恥をかかせぬよう、あえて何も言わなかった。  八十神(ヤソガミ)との関係における経緯を、大国主は手短に説明して、「須佐之男命の知恵を授かりたい」と用件を告げた。  須勢理は訪問客を接見の間に案内する旨を知らせるため、侍女を須佐之男命元へ遣わした。  岩肌そのままの回廊を、見目麗しい若者と二人きりで歩きながら、須勢理の心にはという言葉が浮かんでいた。    華やぐ胸の内を披露するかのように、胸元に下がる孔雀石の緑は篝火を照り返し、輝きを増していた。  後ろを歩く大国主の呼びかける声が、ぼんやりと聞こえた。心ここにあらずで、聞き逃していたようだ。  はっとして振り返った拍子に、大国主命のたくましい胸に、顔を打ちつけた。  抱きかかえるように須勢理の腰に手が回され、転倒を防いだ。  顔と顔が触れ合うほどに近い。  胸の鼓動はますます高鳴った。  須勢理は静かに息を吐き、呼吸を整えた。  接見の間の扉の前から、須佐之男命へ声を掛けた。   「父神様。地上よりいらした大国主命をお連れ致しました」 「入るがよい」  須佐之男命の目通りを許す声が聞こえた。
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