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須佐之男命は、娘の上気した頬と首に下がる見事な首飾りを一瞥した。
若者へ目を移した。
若者に向けられたその顔つきは苦虫を嚙み潰したようだ。
にこりともせずに言った。
「須勢理毘売はごくろうであった。下がってよいぞ」
須勢理が隣に立つ大国主命を不安気に見上げると、大国主命は心配ないとばかりに頷いた。須勢理も頷き返した。
その様子を目にした須佐之男命は、ますます不機嫌な顔つきになった。
退室した須勢理は自室へ戻らず、接見の間近くで室内の様子を気に掛けていた。
ほどなく、接見の間から出て来た侍従に、様子を尋ねた。
「数日、滞在なさります」と侍従は短く答え、急ぎ立ち去った。
しばらく滞在されるのなら、度々お目にかかれるわ。待ち伏せのような見苦しい真似は、控えましょう。
須勢理は一旦私室へ戻ることにした。
回廊を歩いていると、メス鼠のネズ乃が走り寄り、須勢理の衣に小さな爪を引っ掛けて左肩までよじ登った。
「あの若様は気の毒だよ。無事に夜を明かせるとは思えないねぇ」
驚いた須勢理は右手でネズ乃を掴むと、左の掌に乗せて先を促した。
「いやね、アタシャ見ちゃったんだよ。侍従が客室にたくさんの蛇を放ったんだ」
須勢理には優しい須佐之男命だが、気に入らぬ者へは容赦ない。
無慈悲な仕打ちを与える。
須佐之男命の振る舞いに関しては、口出し出来る者はいない。
須勢理とて同様である。
須勢理は急ぎ私室へ戻ると、母が持たせてくれた長持を開けた。
母・櫛名田比売は、地の底で不便がないようにと、役立つ品々をあれこれ、この長持に詰めて持たせた。
中には、呪力を持つ品々もあった。
母は一つ一つ説明しながら、持たせてくれた。
心配性の母が可笑しくもあったが、今となれば、有難い。
地の底の、薄気味悪い生き物を追い払う品があったはずだ。
見つけた品を手に客室へ急ぐと、ちょうど侍従が大国主命を連れてやった来た。
「大国主命に話があるので、そなたは下がって」と父神の侍従を帰し、大国主に告げた。
「根の堅洲国には蛇が多くおります。時には悪さをすることもありましょう」
大国主は、須勢理を安心させるかのように答えた。
「我も男神でございますれば」
蛇など恐れはしないと言いたかったのだろうが、室内に放たれた蛇の数は大国主の想像を超えるだろう。
須勢理毘売は一枚の布を、大国主の手に押し込むと声を落として告げた。
「まじないの掛った蛇の比礼でございます。蛇が襲ってきましたら、この比礼を三回挙げて打ち振って払いますよう」
翌朝、須勢理は目覚めるとすぐに侍女を呼び、髪を整えさせた。鏡を覗くと、ほんのりと目と頬が赤い。
音もなく部屋に入ってきたネズ乃がお喋りを始めた。
「須佐之男命への朝の挨拶を終えた若様を見かけたよ。ご無事で何より何より。誰かさんを探している様に見えたよ」
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