多紀理毘売命《タキリビメノミコト》

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 多紀理は旅の途中で、次の子を宿した。    出雲の神殿には、大国主命の多くの側室と御子が暮らしていた。  母と共に暮らす御子もいれば、様々な理由で母のいない御子もいた。  大国主命の正妻である須勢理毘売(スセリビメ)は、母のいない御子には母親代わりとして、気を配っていた。  大国主命は近隣諸国へ遠征の為、神殿を留守にしがちだった。    大国主命の留守中に生まれた女御子は、下照比売(シタテルヒメ)と名付けられた。  多紀理によく似た、可愛らしい女御子だ。    正妻の須勢理毘売は、新たな暮らしに慣れぬ多紀理を気遣い、兄妹の世話を手助けした。  須勢理毘売が御子を抱きあやす姿を見ると、宗像(むなかた)で暮らす妹らを懐かしく思い出した。  妹たちと子を育てることができたら、どれほど楽しいであろうか。  出雲に子らを残して、宗像へ独りで帰る覚悟が出来なかった。  出雲の暮らしは長引いていた。  何の前触れもなく、妹らが出雲の神殿を訪れた。    それぞれに美しく清楚な三姉妹が揃うと、華やかさが一層増す。  神殿内の回廊を連れ立って歩く三姉妹とすれ違う者は、必ず振り返り、感嘆のため息をついた。  市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)多岐都比売命(タキツヒメノミコト)は、多紀理に続いて居室に入り、後ろ手に扉を閉めた。    三姉妹だけになると、妹らはそれまでの明るい表情と打って変わり、困惑の眼差しを姉に向けた。 「何か、あったのですか」  多紀理が促すと、思い切ったように市寸島(イチキシマ)が口を開いた。 「高天原(たかまのはら)の母神様が、大層お怒りです」  宗像の地を離れ、出雲の神殿で暮らしていると、天照大御神の耳に入った。 「海原の守り神としての修練を放り出すつもりであれば、考えを改めてもらわねばならぬ」と、冷たく言い放ったそうだ。    多紀理は身を震わせた。  やはり、長居し過ぎた。    天照大御神は統治者として、厳しい処分を下す。  ワタクシがここにいては、夫や子に害が及ぶやもしれぬ。    妹らも同じ恐れを抱いたからこそ、遠路駆け付けた。  両手で顔を覆ったまま、うつむく多紀理。  その背を抱く市寸島(イチキシマ)。  見守る多岐都(タキツ)のどの瞳にも、涙があふれていた。  多紀理は顔を上げて、背筋を伸ばした。 「ワタクシが愚かでした。ワタクシたち三姉妹は、海原の守り神となるべく育てられたのです。心配をかけて申し訳ありません。宗像へ帰りましょう」  万が一にも、夫と御子が巻き添えにならぬよう、自分だけが戻ることを決心した。      兄妹御子を託せるのは、須勢理毘売しかいない。 「宗像へ戻り、使命を果たさねばなりません」と伝えた。  須佐之男命を父に持つ須勢理毘売(スセリビメ)は、天照大御神の使命の重さについて、理解してくれた。   夫に別れを告げる間もなく、妹らと共に宗像へと旅立った。    天照大御神から、正式に海の守護神として任命されるのは、これより幾年か後のことだ。    市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)は宗像の(みなと)で、多岐都比売命(タキツヒメノミコト)は湊から11キロ向かいの大島で、守護神としてのお役についた。    多紀理毘売命(タキリビメノミコト)は、大島からさらに49キロ先の玄界灘に浮かぶ絶海の孤島・沖ノ島でお役についた。  神であれ人であれ、この沖ノ島へ近づくことは容易ではない。   この配置が、天照大御神によるものなのか、多紀理自身が選んだものなのかは、今となっては知る由もない。  守護神としての働きは、海原を旅する者の安全にとどまらなかった。  日本の大事とあれば、海原に大風や大波や濃い霧を起こし、攻め入る外敵を追い払った。  「神宿る島」として、宗像・沖ノ島と関連遺産群が世界遺産とされたのは、神代より遥か後世の、平成29年である。  
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