因幡《いなば》の白ウサギ

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 隠岐の島の岸壁で、ウサ吉は対岸の白兎海岸を眺めながら考えを巡らせていた。  ウサ吉は八上比売(ヤガミヒメ)の喜ぶ顔見たさに、オキノシャクナゲを持ち帰ろうと海を渡り、隠岐の島へ来た。  往路は、偶然に居合わせたコウノトリに頼みこんだ。コウノトリは口ばしにウサ吉をくわえ、島へ運んだ。  そのコウノトリに帰路も願うつもりだったのだが、どこかへ飛び立ったのか、一向に見当たらぬ。  この距離を泳ぎ切る自信はウサ吉にはない。  ましてや、オキノシャクナゲの根を海水から守りながら泳ぐことは不可能だ。  渡る手立てを思案しつつ波間を眺めていたところ、ウサ吉の目を捉えたのは泳ぎ回るワニだった。  ウサ吉は、何かを思いついたように立ち上がった。  ウサ吉は指をさして、それぞれに波間に浮かぶワニの数を数え始めた。 「一匹、二匹、三匹・・・・・亅  その様子に、「なんの真似だ」と声が掛かった。岩に半分身を預け、日向ぼっこをしていた老ワニだった。好々爺(こうこうや)(ぜん)とした風貌である。 「いえね、ワニ族よりもウサギ族の数が多いと長老が申しておりやしたんで」  老ワニは呆れたように言った。 「何をたわけたことを言っておる。左様なわけがあるまい」  ウサ吉は、さも困ったという表情を作った。 「アッシも長老にそう申したんですよ。これが手の付けられない頑固者でありやして。それなら、ちょいと数を確認してみるかと思いやしてね」    むろん、ウサ吉の作り話だ。  ウサ吉は群れに属さぬ、一匹ウサギだ。ゆえに、長老と面識はない。   「しっかりと数えて、オヌシの長老に知らしめるがよい」  老ワニは、おっとりと答えた。  そこで、ウサ吉はこの隠岐の島から対岸の白兎海岸までワニ族が並ぶことを提案した。  並べば、一匹一匹のワニの背に乗りながらウサ吉が数える。と持ち掛けたのだ。  ウサ吉の思惑(おもわく)通り、老ワニは精力的に泳ぎ回る若い衆に声をかけ、並ばせた。  その数は多く、隠岐の島から白兎海岸までの波間を隙間なく埋めた。  その光景を目に、ウサ吉は込み上げる笑いをどうにか抑え込んだ。真面目な顔を作るのに苦労した。  ウサ吉の生業(なりわい)は詐欺師ではない。  最後まで嘘をつき通すには、とっさに考え出したこの策があまりに上手く行きすぎたのかもしれない。  数え切る手前、いや、渡り切るまであと一匹の背の上で、とうとう堪え切れずに笑い出してしまったのだ。  ウサ吉にとって運の悪いことに、最後の一匹は血気盛んな上に、勘の良いワニだった。  腹を満たそうとしていたところを、並ばせられたこのワニは、腹をすかせて苛立っていた。  数合わせ云々には、胡散(うさん)臭さを感じていた。 「なぜ笑っておるのだっ。オヌシ、(たぶら)かしおったかっ」  その首を振り上げてのけ反らすや否や、背の上のウサ吉に喰らい付いた。  喰らい付いたまま、頭を大きく左右に何度も振る。  ワニの尖った歯に毛皮の一部を残したまま、ウサ吉の体は宙を舞った。  上手い具合に、海岸に着くことはできたものの、毛皮の剝がれたウサ吉は瀕死の重傷を負っていた。  落下したそのままの恰好で、横たわったまま動けなかった。 「白いウサギなのか、赤いウサギなのか、紛らわしいウサギよの」    笑い声に、ウサ吉は目を薄っすらと開けた。  身動きすら出来ぬウサ吉を覗き込んでいたのは、八上比売(ヤガミヒメ)へ妻問いしようと、出雲を旅立った八十神(ヤソガミ)らだった。 「神様方、アッシをお助けください。痛くてたまりやせん」  ウサ吉は八十神らに助けを乞うた。  八十神らが目くばせをしたり、含み笑いをしたりしていたことにウサ吉は気付かなかった。  普段であれば、躊躇したであろう怪我の対処方ではあった。  手の届く所に海水があったこともあり、言われた通りに塩水で傷口を洗って風にあてた。  ウサ吉の傷の痛みは増し、耐えがたいものとなった。体は震え、目からは涙が自然にこぼれた。  頭をよぎるのは、美しく優しい八上比売のことだった。  この世を去る前にひと目、八上(ヤガミ)に会いたい。出来る事なら、その腕に抱かれて逝きたい。 「そなたは何ゆえ、そのように痛々しい姿なのだ」  力なく目を開けると、担ぎきれないほどの荷物を背負った若い神が覗き込んでいた。  この若い神は、八十神の末弟である大国主命(オオクニヌシノミコト)だった。    兄らに、全ての荷物を運ぶことを命じられ、その量と重さで、一行から遅れをとっていた。  ウサ吉の語る途切れ途切れの言葉の端々から、大国主命は事情を理解した。    そっとウサ吉を抱き上げると、川まで運び、真水でその傷口を洗ってやった。  次に、その辺りに生えている(がま)の穂の黄色い花粉を敷き詰めて、傷口を花粉が覆うように横たわらせた。  蒲の穂の花粉には、血管を収縮させて出血を止める作用がある。また、傷口を覆うことで、傷口が空気に触れないようし、自然治癒力を助けた。  大国主命は、横たわるウサ吉に目が届く場所で、川の流れを眺めていた。  ほどなく回復したウサ吉は、この親切な神とのやりとりで、八上比売(ヤガミヒメ)への妻問いが行われることを知った。  そのために、八十神と大国主命の一行が旅をしていたのだ。 「八十神より遅れていようと、あなた様はなんら心配なさることはありやせん」  アッシが八十神を八上比売の妻にはさせやしない。と言いきった。  大国主命がウサギの威勢の良さに驚く間に、当のウサ吉は走り出していた。勝手知ったる因幡の道だ。誰よりも先に、八上の元に辿り着けるだろう。 「このウサ吉様を、ハメたお礼はたっぷりさせてもらいやすぜ」  体の痛みを忘れるほど、ウサ吉は腹を立てていた。
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