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狩人
情報科学と脳科学の行き着いた。
ひとつの結末。
人の記憶は、電子データとして取り出せるようになった。
脳神経に接続して、その脳に刻まれた全ての記憶を。
当人が思い出せないような原初の記憶から、ほんの一瞬目にしただけの些細なことまで、取り出して、詳らかにできる。
「覚えてない」
「忘れた」
「記憶にない」
そんな嘘や誤魔化しは通用しない世界。
それでも犯罪は起こるさ。
だから刑事もいる。
「界析結果から犯行現場が割り出せました」
徹夜明け。
刑事であるサイキ・コウイチは、捜査本部へ報告を上げに来ていた。
「鑑識を向かわせろ」
「これで物証が出れば解決ですね」
捜査員がバタバタと出て行く。
記憶はそれ単体では証拠にはしない。
裏付ける物証があって初めて証拠となりうる。
物証探しは他に任せて、サイキはようやく息をついた。
「お疲れ。
だいぶ顔がやつれてるな」
班長がコーヒーを差し出す。
「すみません」
頭を下げて受け取る。
サイキはただの刑事ではない。
事件関係者の記憶を読み取る技術を持っている、界析官でもある。
「お前は優秀だけど、
現場と界析の両方はキツいだろ。
もうすぐうちも、
界析専門部署を立ち上げるらしいから、
それまでの辛抱だ」
「いえ、
現場に出れるから、
界析もできると思ってます」
むしろ。
外に出なければやっていられない。
界析するにはまず、半日かかって専用の機械で脳内の記憶をコピーする。
情報の圧縮技術によって可能になったことだ。その後、膨大な記憶の中から、犯罪の証拠を探す。
さっき読んだ、被疑者の記憶。
モニター越しに記憶の波をかき分け。
犯行の記憶を見つけた。
逃げ惑う女性を追い詰めていた。
高揚していた。
笑い声を上げて。
楽しんでいた。
女性が転ぶと。
わざと速度を落として。
でも決して逃さない距離で。
力尽きて倒れ込んだ女性を。
もっと走れと蹴って。
蹴って。
蹴って。
蹴って。
動かなくなった…
「サイキ」
呼ばれて。
我に帰る。
コーヒーの黒い水鏡を。
じっと見つめていた。
「大丈夫です」
波が立つ。
「今回は何時間かかった?」
「9時間40分です」
「ついに10時間切ったか」
「分かりやすい奴だったのもあります。
界析は運もあるので」
他の署なら、界析部署に回して5日はかかる。
それでも有力な情報が見つからずに終わることもある。
しかしサイキは、通常その半分程度の時間で見つける。
それもどんどん早くなっている。
「現場に出てるからこそ、
何が解決の糸口なのか、
見極める力がつくんだろうな」
「そうですね。
いろいろ教えてもらってます」
刑事になって3年。
界析した人数は200人を超える。
ちょうど記憶界析が犯罪捜査に積極的に使われ始めた頃からだ。
もちろん黙秘権と同じように記憶界析の拒否権はある。
記憶など究極のプライバシーだ。
それでも記憶界析が広まったのには理由がある。
犯罪被害者が積極的に界析を受けたことだ。
証言だけでは得られない細かな情報から検挙率、有罪率が大幅に上がっただけでなく、被害者の心情をより生々しく描き出すことになり、裁判でも有利になり厳罰化が進んでいる。
「じゃあ俺、
自白とってきます」
「他のやつに任せとけ」
「俺がやった方が早いんで」
界析結果を持って。
取調室へ入る。
「覚えてません」
30代半ばの被疑者を前に、笑みが漏れそうになる。
それはもう通用しないんだよ。
「覚えていないか、そうかそうか。
それなら俺が教えてやるよ。
お前が何をしたか、
お前よりよ〜く知ってっから」
ファイルを広げる。
「20時にお前は家を出た。
在来線を3回乗り継いで、
家からも職場からも離れたこの場所で、
お前は一人歩きの女性を待ち伏せた」
地図上にマークが付いている。
「うちの管轄に来たのは間違いだったな。
記憶界析に回されるなんて、
思わなかったんだろ」
公園前の荒い画像も見せる。
「この植え込みに隠れて、
こんなふうに待ってたんだろ」
植え込みから通りを見る構図の画像。
女性が通りかかったタイミングだ。
ブラウスに膝丈スカートに大きめのカバン。
仕事帰りの格好だ。
「この女性は見送った。
スマホで電話をしていたから」
被疑者の額に、汗が流れる。
なんで知ってる。
見送った女まで。
「お前が狙ったのは、
その30分後に来たこの人だ」
パンツスタイルにローヒール。
手には買い物袋を下げている。
仕事帰りに買い出しに寄って、これから帰宅するのだろう。
「後ろから腕を掴んで公園に引き摺り込んで、
地面に転がして馬乗りになって、
腕を結束バンドで後ろに縛って、
ガムテープで口を塞いで、
懐中電灯で照らして公園の奥へ追い込んだ。
この人は2回は転んだな。
お前はわざと追い付かないようにして、
追い込むのを楽しんだ」
こと細かに説明されて。
あの時の興奮が蘇ったのか。
手が震える。
鼓動が速い。
「3回目に転んだ時、
この人がいつまでも起き上がらないから、
蹴ったんだろ」
あの感覚。
右足が痺れる。
「何回蹴ったかは覚えてるか?
83回だよ。
最初は動かないからって、
蹴ってたんだろ?
でも、
蹴るたびにビクって身体が跳ねるのが、
面白くなったんだろ?
それで、腹も、顔も、
血が出てぐちゃぐちゃになっても、
蹴り続けた」
被疑者の男が、初めて目を合わせた。
口元が、笑っていた。
「楽しかった。
あんたにも分かるか?
楽しかったんだよ」
目が爛々と輝いている。
興奮している。
「思い出したか?」
サイキの口にも、笑みが浮かぶ。
「思い出した」
「何が楽しかった?」
「走っていくのを追いかけるのもよかった。
でも、
それよりも、
痛みに耐えてのたうち回るのが、
あれを見てるのが、
何よりだ。
あんたも分かるだろ」
「何が?」
「ただ殺したかったんじゃない。
苦しんで悶える姿が見たかったんだよ」
「生かして返すつもりがあったのか?」
「そうじゃない!
苦しんで苦しんで、
生きようと抵抗して、
それでも死んでいくのがいいんだ。
生きて帰れたら本当じゃない」
知ってたよ。
記憶を読んだから。
サイキは笑った。
被疑者も笑っていた。
取調室を出ると、班長が待っていた。
口元を隠す。
笑ってないよな?
「自白取れました」
「サイキ」
やりすぎた気はする。
小言を言われる前に逃げ出したい。
「戻って界析の報告書上げます」
「一度帰って寝てこい。
昨日から寝てないんだろ」
一晩界析して。
そのまま取り調べに入って。
もう昼だ。
「いや、
終わらせないと眠れないんで」
自分のデスクに戻る。
界析に使うパソコンは別だ。
報告書に界析結果をまとめる。
被疑者が笑っていただの、残忍な犯行だの、そんなことは書かない。
犯行現場はみなと公園。
被疑者の服装は紺のウインドブレーカー。
靴は980円の輸入品。
犯行の1週間前にネット通販で購入。
犯行時に靴底が剥がれて壊れた。
一度持ち帰るが被害者の血液が付着しているのに気づき、ウインドブレーカーと共に公園近くのゴミ箱に投棄。
被害者とは面識なし。
犯行時刻は23時30分--
事実を淡々と書き連ねる。
いつだったか、先輩に言われたことがある。
「お前、
取り調べじゃあんなに感情的なのに、
報告書には全く書かないよな」
「あれはフリなんで」
そう、フリだ。
切り離せ。
界析した記憶に呑まれるな。
振り払うように。
事実だけを連ねる。
キーボードを叩く。
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