狩人

1/1
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

狩人

情報科学と脳科学の行き着いた。 ひとつの結末。 人の記憶は、電子データとして取り出せるようになった。 脳神経に接続して、その脳に刻まれた全ての記憶を。 当人が思い出せないような原初の記憶から、ほんの一瞬目にしただけの些細なことまで、取り出して、詳らかにできる。 「覚えてない」 「忘れた」 「記憶にない」 そんな嘘や誤魔化しは通用しない世界。 それでも犯罪は起こるさ。 だから刑事もいる。 「界析結果から犯行現場が割り出せました」 徹夜明け。 刑事であるサイキ・コウイチは、捜査本部へ報告を上げに来ていた。 「鑑識を向かわせろ」 「これで物証が出れば解決ですね」 捜査員がバタバタと出て行く。 記憶はそれ単体では証拠にはしない。 裏付ける物証があって初めて証拠となりうる。 物証探しは他に任せて、サイキはようやく息をついた。 「お疲れ。  だいぶ顔がやつれてるな」 班長がコーヒーを差し出す。 「すみません」 頭を下げて受け取る。 サイキはただの刑事ではない。 事件関係者の記憶を読み取る技術を持っている、界析官でもある。 「お前は優秀だけど、  現場と界析の両方はキツいだろ。  もうすぐうちも、  界析専門部署を立ち上げるらしいから、  それまでの辛抱だ」 「いえ、  現場に出れるから、  界析もできると思ってます」 むしろ。 外に出なければやっていられない。 界析するにはまず、半日かかって専用の機械で脳内の記憶をコピーする。 情報の圧縮技術によって可能になったことだ。その後、膨大な記憶の中から、犯罪の証拠を探す。 さっき読んだ、被疑者の記憶。 モニター越しに記憶の波をかき分け。 犯行の記憶を見つけた。 逃げ惑う女性を追い詰めていた。 高揚していた。 笑い声を上げて。 楽しんでいた。 女性が転ぶと。 わざと速度を落として。 でも決して逃さない距離で。 力尽きて倒れ込んだ女性を。 もっと走れと蹴って。 蹴って。 蹴って。 蹴って。 動かなくなった… 「サイキ」 呼ばれて。 我に帰る。 コーヒーの黒い水鏡を。 じっと見つめていた。 「大丈夫です」 波が立つ。 「今回は何時間かかった?」 「9時間40分です」 「ついに10時間切ったか」 「分かりやすい奴だったのもあります。  界析は運もあるので」 他の署なら、界析部署に回して5日はかかる。 それでも有力な情報が見つからずに終わることもある。 しかしサイキは、通常その半分程度の時間で見つける。 それもどんどん早くなっている。 「現場に出てるからこそ、  何が解決の糸口なのか、  見極める力がつくんだろうな」 「そうですね。  いろいろ教えてもらってます」 刑事になって3年。 界析した人数は200人を超える。 ちょうど記憶界析が犯罪捜査に積極的に使われ始めた頃からだ。 もちろん黙秘権と同じように記憶界析の拒否権はある。 記憶など究極のプライバシーだ。 それでも記憶界析が広まったのには理由がある。 犯罪被害者が積極的に界析を受けたことだ。 証言だけでは得られない細かな情報から検挙率、有罪率が大幅に上がっただけでなく、被害者の心情をより生々しく描き出すことになり、裁判でも有利になり厳罰化が進んでいる。 「じゃあ俺、  自白とってきます」 「他のやつに任せとけ」 「俺がやった方が早いんで」 界析結果を持って。 取調室へ入る。 「覚えてません」 30代半ばの被疑者を前に、笑みが漏れそうになる。 それはもう通用しないんだよ。 「覚えていないか、そうかそうか。  それなら俺が教えてやるよ。  お前が何をしたか、  お前よりよ〜く知ってっから」 ファイルを広げる。 「20時にお前は家を出た。  在来線を3回乗り継いで、  家からも職場からも離れたこの場所で、  お前は一人歩きの女性を待ち伏せた」 地図上にマークが付いている。 「うちの管轄に来たのは間違いだったな。  記憶界析に回されるなんて、  思わなかったんだろ」 公園前の荒い画像も見せる。 「この植え込みに隠れて、  こんなふうに待ってたんだろ」 植え込みから通りを見る構図の画像。 女性が通りかかったタイミングだ。 ブラウスに膝丈スカートに大きめのカバン。 仕事帰りの格好だ。 「この女性は見送った。  スマホで電話をしていたから」 被疑者の額に、汗が流れる。 なんで知ってる。 見送った女まで。 「お前が狙ったのは、  その30分後に来たこの人だ」 パンツスタイルにローヒール。 手には買い物袋を下げている。 仕事帰りに買い出しに寄って、これから帰宅するのだろう。 「後ろから腕を掴んで公園に引き摺り込んで、  地面に転がして馬乗りになって、  腕を結束バンドで後ろに縛って、  ガムテープで口を塞いで、  懐中電灯で照らして公園の奥へ追い込んだ。  この人は2回は転んだな。  お前はわざと追い付かないようにして、  追い込むのを楽しんだ」 こと細かに説明されて。 あの時の興奮が蘇ったのか。 手が震える。 鼓動が速い。 「3回目に転んだ時、  この人がいつまでも起き上がらないから、  蹴ったんだろ」 あの感覚。 右足が痺れる。 「何回蹴ったかは覚えてるか?  83回だよ。  最初は動かないからって、  蹴ってたんだろ?  でも、  蹴るたびにビクって身体が跳ねるのが、  面白くなったんだろ?  それで、腹も、顔も、  血が出てぐちゃぐちゃになっても、  蹴り続けた」 被疑者の男が、初めて目を合わせた。 口元が、笑っていた。 「楽しかった。  あんたにも分かるか?  楽しかったんだよ」 目が爛々と輝いている。 興奮している。 「思い出したか?」 サイキの口にも、笑みが浮かぶ。 「思い出した」 「何が楽しかった?」 「走っていくのを追いかけるのもよかった。  でも、  それよりも、  痛みに耐えてのたうち回るのが、  あれを見てるのが、  何よりだ。  あんたも分かるだろ」 「何が?」 「ただ殺したかったんじゃない。  苦しんで悶える姿が見たかったんだよ」 「生かして返すつもりがあったのか?」 「そうじゃない!  苦しんで苦しんで、  生きようと抵抗して、  それでも死んでいくのがいいんだ。  生きて帰れたら本当じゃない」 知ってたよ。 記憶を読んだから。 サイキは笑った。 被疑者も笑っていた。 取調室を出ると、班長が待っていた。 口元を隠す。 笑ってないよな? 「自白取れました」 「サイキ」 やりすぎた気はする。 小言を言われる前に逃げ出したい。 「戻って界析の報告書上げます」 「一度帰って寝てこい。  昨日から寝てないんだろ」 一晩界析して。 そのまま取り調べに入って。 もう昼だ。 「いや、  終わらせないと眠れないんで」 自分のデスクに戻る。 界析に使うパソコンは別だ。 報告書に界析結果をまとめる。 被疑者が笑っていただの、残忍な犯行だの、そんなことは書かない。 犯行現場はみなと公園。 被疑者の服装は紺のウインドブレーカー。 靴は980円の輸入品。 犯行の1週間前にネット通販で購入。 犯行時に靴底が剥がれて壊れた。 一度持ち帰るが被害者の血液が付着しているのに気づき、ウインドブレーカーと共に公園近くのゴミ箱に投棄。 被害者とは面識なし。 犯行時刻は23時30分-- 事実を淡々と書き連ねる。 いつだったか、先輩に言われたことがある。 「お前、  取り調べじゃあんなに感情的なのに、  報告書には全く書かないよな」 「あれはフリなんで」 そう、フリだ。 切り離せ。 界析した記憶に呑まれるな。 振り払うように。 事実だけを連ねる。 キーボードを叩く。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!