召使

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召使

報告書を出して、昼過ぎに署を出て。 アパートへ帰る。 まる30時間着ていたシャツを脱いで。 シャワーを浴びながら、ふと。 蘇る。 笑い声と。 高揚。 右足が疼く。 鏡を見たら。 口が歪んで笑っている。 上を向いて顔にお湯をかぶる。 かき消す。 かき消す。 かき消す。 いつからだろう。 界析した他人の記憶を、延々と反芻するようになったのは。 とにかく湯を浴び続ける。 温さと。 重みを。 浴び続ける。 数十分はそうしていただろうか。 身体の芯が温まり、ようやく風呂場を出る。 ベッドに倒れ込んで、横目にテレビを見る。 記憶界析で解決した事件が報道されてる。 中央庁の殺人事件専門部が解決した案件だ。 また記憶界析の株が上がるな。 モゾモゾと寝返りを打つ。 記憶界析はたしかに有用だろう。 でも、人の精神内界という究極のプライバシーを暴くものだ。 あまりに大きい犠牲を払っている。 安易な界析はすべきじゃないし、界析するからには、絶対に解決しなければいけないと思っている。 成果のない無駄な界析はあってはならない。 その執念で、サイキは成果を上げてきた。 いつの間にかニュースは変わり、政治家の汚職やら海外の事故やらを報じている。 眠ろう。 脳を休めなくては。 テレビを消して目を閉じる。 この間見た退屈な映画のシーンを思い浮かべ、情景を反芻する。 こうして、いつのまにか夢に落ちている。 界析した記憶を見ないための防衛策だ。 「おはようございます」 「おはよう。  昨日は寝れたか?」 ニュースを見ていた班長は、サイキの挨拶に振り返る。 昨日と同じニュースだ。 記憶界析で解決した事件と、汚職と、海外の事故と。 「はい」 「お前のおかげで早期解決できたって、  署長も褒めてたぞ。  今度奢ってやる」 「飲めないんで、俺はいいです」 「またそれかよ」 「またってか一生こうなんで」 「飯の旨いとこにしてやる」 話題を変える。 「ニュースでやってる不正献金疑惑、  うちも何か手伝ったりありますかね」 「現役議員だからな、  慎重に進めるだろう」 あからさまに逸らしたのを睨みつつも答えてくれる。 そこに、電話が入る。 「はい、はいよ」 班長は短くやりとりして。 「ひき逃げだ。  いくぞ」 「交通課じゃないんですか」 「めんどくさい経緯があるらしい」 先輩たちも立ち上がる。 いくらめんどくさいと言っても、この監視社会だ。今どきひき逃げなんてすぐに捕まる。 小さい事件だと。 そう思っていたんだけど。 「今話題の汚職議員の秘書が、  ひき逃げにあって意識不明の重体で、  ドラレコの映像がないとか」 サイキのすぐ上の先輩のヤマさんが天を仰ぐ。 「外なんだからダレるな」 ヤマさんの背を、そのすぐ上のミヤトさんが叩いて正す。 「防犯カメラの映像がこれ」 事務所を出てすぐの大きな通り。 交差点のど真ん中ではねられた。 車はそのまま走り去る。 「車のナンバーは」 「偽造ナンバーで照会できませんでした」 「計画的な犯行か」 「それも今捜査されてる議員の秘書が」 「ただこれ、  どうも被害者の方が、  赤信号で飛び出したっぽいんですよ」 「え?」 覗き込む。 信号は映っていないが、たしかに車の流れは、歩行者側が赤のようだ。 交差点で止まっていた車のドライブレコーダーを見れば、信号もきちんと映っているだろう。 「映像提出は」 「交差点の2番目、3番目の車から」 「先頭は」 「それが見つけられなくて」 「まさかそれも偽造か」 「面倒ですね。  つかこれ、  このまま中央庁が持ってくんじゃ?」 「どうだろうな」 ベテランのイワイさんは顎をさすって言葉を濁し、班長を振り返る。 「一旦署に戻りますか?」 「そうだな、課長に聞いてくる。  俺は戻るんで、  目撃者と、  被害者家族に聞き取りよろしく」 「あい」 イワイさんは向き直ると、手早く指示を出す。 「ヤマとサイキで目撃証言。  必要なら記憶界析の承諾もらって。  ミヤト、俺と被害者の病院行くぞ」 「はい」 「あの」 サイキはふと、それを止める。 「家族って…?」 「妻と、息子が1人。  中3だったか。  サイキお前まさかそっち行きたいのか」 「あ、いや、えっと」 界析するなら家族だ。 なぜかそう思った。 なぜだ。 「自分変わりましょうか?」 ミヤトさんが手を挙げるが。 「いや、  ミヤトと2人で会ってこい。  ヤマ、行くぞ」 「へい〜」 イワイさんはヤマさんを連れて、さっさと目撃者集めに行ってしまった。 「行こうか」 「すいません」 「いや、ちゃんと調べるなら、  たしかに家族の方だ」 ちゃんと調べるなら、か。 ミヤトさんは一児の母だ。 被害者家族に会ってもらうにはいいのだろう。 ただ今回は、相手が誰でも警戒するんだろう。 「記憶界析はしません」 妻はキッパリと言い切った。 集中治療室の外で、動揺もしているだろうに、毅然とした態度だった。 「夫が仕えているユウキ先生は、  記憶界析推進派でしたけど、  夫も私も個人としては慎重な考えです」 「分かりました。  少しお話を聞きたいのですが、  それは構いませんか?」 「自分は医師に話を聞いてきます」 妻とミヤトさんに断り、その場を離れる。 歩いていると、制服姿の少年が自販機の前に立ちすくんでいる。 バタバタと忙しない医療従事者たちの中で、彼だけが静止している。 違和感がないのは、微動だにしないので背景として認識されているからだ。 「大丈夫?」 声をかけると、ハッと顔がこちらを向いた。 その拍子にぐらりと身体が揺れ、足踏みして向き直る。 「大丈夫です」 小さく落ち着いた声だった。 「君は集中治療室にいるコサカイさんの、  お子さん?」 身分証を見せる。 「コサカイさんをひいた人を探してる、  捜査員のサイキです」 「コサカイ・ケイユウです」 「ケイユウ君。  何か買おうとしてたの?」 「ううん、  何があるか見てただけ」 何か見ていないと、考え出してしまうのだ。 泣き喚いたり、人にすがったりはしない。 そんなことをしても、母や病院の人を困らせるだけ。 状況は何も良くならない。 だから、ざわざわと忍び寄る不安に取り憑かれないように、自販機の文字を目で追っていたのだ。 「ここ、あんまり見れるものがないね」 見渡すと、掲示板には健診の案内や医療費の新しい仕組みや、今見てもどうしようもないものばかり。 行き交う人々も、焦燥と切迫、中には後悔、呆然、そして諦め。 ホールのテレビなど見ようものなら、ニュースに自分の父が仕える政治家の顔がでかでかと映るだろう。 「少し話さない?  気がまぎれるよ」 「うん」 少年は頷いた。 刑事としての要求を押し通すのではなく、自分を見て、何を求めているのか考えて話してくる。 それも、子ども扱いした安直なものではなく、おそらくは、同じ立場に立った刑事自身が求めるだろうものを。 少年をよく見ている。 その刑事を、少年もよく見ている。 「お父さん、  最近は忙しかった?」 「うん。  何日も帰らない日が続いてて、  時々、学校行ってる間とか、  着替えに帰ってきてたみたいだけど、  全然会えなかった」 「そっか」 壁にもたれて。 「父さんと最後に話したの、  いつだっけって考えてたんだけど、  先週の日曜だった。  夜中に帰ってきた時に、  ちょうど起きてて、  おかえりって。  ほんの一瞬。  同じ家に住んでるのに」 「そうか」 「父さんは、このまま死ぬのかな、  とか考えて」 分からない。 でも。 「死ぬまで、  終わらないんじゃないかなって思って」 彼が何を考えているのか、分かってしまった。 トカゲの尻尾切り。 口封じ。 死ななかったら、また狙われる。 「死なせないよ」 サイキの言葉は、そこだけ虚しかった。 言って後悔した。 それも、少年には伝わってしまっただろう。 「母さんはきっと、  犯人を捕まえなくていいから、  とにかく穏便に、  早く終わらせたいと思ってるはず」 あまりにしっかりした口調。 サイキは、相槌を打つことも忘れてしまっていた。 刑事を、まっすぐに見る。 その少年を、刑事もまっすぐに見る。 「母はなによりも僕の安全を考えてる。  だから父を警察病院へ移送して欲しいとも、  保護してほしいとも言わない。  次に狙われても抵抗しないつもり」 どこまで理解してしまっているのか。 中学生で、人の命のあまりの軽さを知ってしまうなど、諦めを知ってしまうなど。 「だから記憶界析も受けないつもり」 家族の犠牲によって生かされるという、あまりに重い十字架を背負おうとしているなど。 「ユウキ議員は再選2回の与党議員で、  現防衛大臣と関係が深い。  防衛省が新しく採用したシステムに関して、  その設計をした会社からユウキ議員に、  第三者を通した実質上の賄賂があり、  さらにその金が防衛大臣まで流れたと。  そういう疑惑だ」 「新しいシステムって?」 ヤマさんが手を挙げると。 「サイキ、  お前詳しく知ってるだろ?」 班長がサイキを見る。 「記憶をビッグデータ化して活用するんです」 サイキは立ち上がった。 「家庭用の記憶読み取り装置の開発が進んで、  いずれは1人1台装置を持つ時代が来る。  それを見越して、  定期的に国へ記憶を提出し、  アルゴリズムでテロとかの予兆を見つけて、  国家防衛に役立てるんですよ」 「なんだそれ」 眉をひそめる。 「そんなん本当に実用化するんすか」 先輩も言う。 「俺はすると思います。  ドライブレコーダーの搭載も、  スマホデータの提出も義務化しました。  記憶界析の司法分野への導入も、  その下準備でしょう」 今回の賄賂疑惑は、システム導入のブレーキになる。 「だからか。  中央は、今回出てこないらしい」 班長は唸る。 「はあ?  出てこないって?」 「中央はあくまで、  システム開発会社から不正献金があったか、  それだけを捜査すると」 「その取引を実際に行った秘書が、  重体で聴取できないんだけど」 「それで証拠不十分ってことに」 「こんなん完璧に、尻尾切りでしょ」 「防衛大臣と、  すでに可決した法案に繋がってくるからな」 「なんで中央が政府の顔色伺うんすか」 「今回のシステム導入は、  中央にもおいしい話だ。  穏便に済ませたいんだろう」 先輩は天を仰ぐ。 「でも、なんで命まで狙われるんすか?  ふつう秘書が、  “私の一存でやりました”って言って、  それで終わりでしょ?  議員や大臣まで届かなくするだけなら」 チョキチョキと切る仕草をする。 「その秘書が、  罪を引っ被るのを拒否したとか」 「それは考えにくいです」 ミヤトさんが挙手する。 「コサカイ夫妻はだいぶ早い段階で、  尻尾切りを想定していました。  夫婦間では、  最優先すべきは息子の安全であり、  そのための早期事態収集。  捜査やマスコミの追及が長引けば、  家族がまず疲弊するから、  失職や刑事罰は覚悟していたと」 そこまで聞き出していたとは、ミヤトさんはさすがだ。 サイキは感心していたが、班長はさらに続ける。 「ミヤト、かなり早い段階、というのは、  具体的にいつだ」 「法案の審議が始まる前、  開発業者からの献金のあった頃だろうと、  妻は話しています」 「審議前?」 「マスコミにかぎつけられてじゃないのか?」 その段階で、不正献金の発覚や尻尾切りを想定していたなら、今になって罪を被ることを止めるとは考えにくい。 「班長、これどうするんです。  うちらは議員先生たちなんか、  相手にできませんよ」 「署長のとこに行ってくる。  とりあえず事件事故自殺未遂、  どの線も視野に入れて情報収集」 「はい」 「サイキ、  お前一緒に来い」 「え」 サイキが署長室に入ることなど滅多にない。 デスクに、応接用のソファとテーブル。 どこにいたらいいか分からない。 とりあえず班長の少し後ろに立っていた。 「サイキ、  またお手柄だったな」 署長はデスクから立ち上がって、班長の後ろを覗き込む。 「あ、いえ、恐縮です」 後ろに隠れているわけにもいかなくなって、少し横にずれて顔を合わせる。 署長は普段は穏やかだが、声は通るし背は高いし、威圧感がすごい。 「ひき逃げ事件について、  君の意見を聞きたい」 やっぱり隠れたい。 「意見、とは」 「どうすれば解決できると思う?」 解決の定義による。 中央が求める解決なら、簡単だと。 「目撃者の何人かから、  記憶界析の許可を得ています。  ひき逃げ犯を割り出すのは、  3日あればできると思います」 問題はその先だ。 「単なるひき逃げ事件として扱うなら、  犯人が罪を認めた段階で解決となります」 そこで終われという、中央からの指示なのだろう。 「君は、  どうすべきだと思う?」 そんなことを聞かれても。 署長はどう思っているのだろう。 班長は? 自分は何を求められているのか。 いや、こうして意見を聞かれているということは、少なくとも署長は、中央の意向にそのまま従うつもりはないのだろう。 「犯人を界析すれば、  誰の指示か辿ることができると思います」 辿った先には、おそらく大臣がいる。 「記憶界析システムの導入に、  ブレーキをかけることになるな」 「はい」 「そうすべきだと」 「…記憶界析は諸刃の剣です。  誰しも等しく罪を暴かれるのだと、  利権目当ての奴らに、  分からせてやりたいんです」 「それはお前の私情だろ」 班長が口を挟んだ。 「界析官としての責務です」 班長が黙った。 この署で最も成果をあげる界析官として、初めてその実績を振りかざした気がした。 「署長は、  界析官である私の意見を、  聞きたかったんでしょう」 「そうだね、  界析官であり、  捜査員の君の意見を聞きたかった」 満足げに笑う署長と、呆れて笑う班長を、交互に見た。 「それでは、徹底的に頼むよ」 「全力を尽くします。  行くぞ、サイキ」 よく分からないまま、班長に促されて、ろくに挨拶もしないまま部屋を出る。 「結局これなんだったんですか?」 班長の背中に問いかける。 「お前は界析官だけど、  ちゃんと刑事だってことだよ」 そりゃあそうだ。 別に相反するものじゃない。 「界析は今後、捜査の主流になるだろう。  ちゃんと現場を知ってる界析官が、  それを引っ張ってくことになる」 界析官であり、捜査員。 「意見を聞くとか言ってたけど、  署長は初めから、  決めてたってことですよね」 「徹底的に、調べるか」 「はい」 界析官の責務。 捜査員の正義。 言ったからには全力を尽くす。 「ん?」 班長が立ち止まった。 「班長?」 「あー、あああ」 急に頭を抱えた。 「そうだ、これから記憶界析が主流になる」 独り言を言い出した。 「なんすか班長」 「尻尾切りだよ」 チョキチョキと。 宙を切る。 「いくら秘書が、  “私の一存でやりました”と言おうが、  記憶界析すれば、  誰の指示があったか割り出せる」 「つまり」 尻尾を切るには。 消すしかない。 記憶を。 その人を。 ひゅっと喉が鳴った。 少年を思い出した。 界析を拒否した妻の視線を思い出した。 秘書の意志か? 意志に反してか? どちらにしても。 「記憶界析があるから」 尻尾切りで。 秘書は。 自分の命ごと、落とさなきゃならなくなった。
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