魔女

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魔女

目撃者の記憶データを、延々と見ていた。 交通課の界析官が補助に入っている。 薄暗い中。 モニターと、それに照らされたサイキの顔が、青白く浮かんでいる。 捜査員はそれぞれに情報収集しながら、サイキの界析が終わるのを待つしかなかった。 界析官の腕を見る指標の一つは、情報を的確に抜き出す素早さだ。 多くの関係ない記憶の中から、犯罪を立証する記憶を素早く見つけ出す必要がある。 しかし、脳からコピーする記憶データは膨大。 長ければ界析には数日から数週間かかる。 それだけかけても見つけられないこともある。 それをサイキは、1日から2日で見つけてしまう。 何が証拠につながるのか、どこから攻めればいいのか、それを現場で日々見ているからだろう。 記憶の海に潜って。 潜って。 潜って。 潜って。 息継ぎをして。 また潜る。 時間の感覚がない。 空は明るい。 どれくらい経ったのだろう。 「乗り捨てられた車、見つけました〜って、  サイキ?」 ちょうど外から戻ってきたヤマさんが、呆然と空を見るサイキを見つけた。 その声に、デスクに齧り付いていた面々も顔を上げる。 目が合う。 「あ、終わりました。  お待たせしました」 ふらりと立ち上がる。 全身が痺れてる。 呂律まで回らない。 「15時間弱…」 「目撃者3人分だぞ。  早すぎる」 「何が分かった?」 ぼーっと立ち尽くすサイキに代わって、補助をしていた交通課の界析官が、たった今印刷し終えた紙を差し出す。 「実行犯のモンタージュ作って、  顔認証かけて、  割り出しました。  車が乗り捨てられた波止場近くのカメラを、  重点的に確認してます。  ね、サイキさん」 「ん?」 肩を叩かれて後輩界析官を見下ろすが、何一つ聞こえていない。 「お前とにかく寝ろ!  労働禁止!」 ヤマさんが怒鳴って、隅っこのソファに突き飛ばす。 「わっ!」 「そうだそうだ」 班長がクッションを投げつけてくる。 ミヤトさんはブランケットを。 「逮捕は」 「お前は本当に寝ろ」 クッションとブランケットをくらったサイキの頭に、イワイさんがペットボトルを乗せる。 “リラックスホットカモミールミルクティー” するりと滑って手の中に落ちた。 ボトルが温かい。 「それ飲んで寝とけ。  引っ張ってきたら、  犯人の界析も頼むことになるんだ。  今のうちに休め」 「はい…」 そうだ。 実行犯を捕まえたら、そこからはスピード勝負になる。 中央からあれこれ言われる前に、議員や大臣までの繋がりを暴かなきゃならない。 バタバタと出て行く先輩たちを見送って、ボトルのキャップをひねった。 「連れてきたら、  簡易界析だけしておいて」 ボトルの中身を一気に飲み干す。 腹の内側が温まる。 「まずはコピー取るんじゃ?」 重たい頭を、クッションに預けて目を閉じる。 眠ることはできないだろうが、とにかく休めなければ。 「実行犯には、記憶探索をする」 「記憶探索…?!」 界析の腕を測るもう一つの指標は、狭義の記憶界析、記憶探索の技術だ。 コピーしたデータを読むのではない。 リアルタイムの界析。 界析しながら被界析者に接触し、奥底に仕舞われた必要な情報を、表層に浮かび上がらせる。 これを使えば、1日かかる界析を数時間から数十分にまで短縮することができる。 しかし、生の脳と対話するようなもの。 下手をすれば記憶の干渉を引き起こす。 取り返しのつかない捜査の失敗にもつながる。 探索の中で、知らなかった犯罪現場や犯行の細かな手順などを知ってしまい、それによる犯行の偽記憶形成が起こってしまうなどだ。 もっと酷いと、探索によって精神崩壊を起こしてしまう。 よほどの確信がなければ、犯罪捜査で記憶探索はしない。 界析件数の多いサイキでも、記憶探索をしたのは数えるほど。 「サイキさん、  まじで記憶探索、やるんですか」 交通課から借りてきている後輩は、明らかにびびっていた。 「相手はプロだ。  自白なんてするわけない」 「普通にコピーして界析すれば」 「時間がない」 ブランケットを引っ被った。 あの時、秘書は事務所を出てフラフラと歩いていた。 大通り沿いに。 早朝。 まだ日の昇らないうち。 耳にはスマホを当てていた。 どうやら通話中のようだった。 口元が動き、何か話している。 事務所を出るということは、通話相手は事務所内にはいない。 だんだん足取りが速くなっていった。 目撃者1、早朝出勤の女性を追い越した。 緊張していたようだ。 右手は固く握りしめられて、血管が浮き出ていた。 声は押し殺していて、聞こえなかった。 目撃者2、秘書の向かいから歩いてきた残業明けの男性は、秘書が通りの向こうを気にしているのに気づいた。 大通りの反対側。 何を見ているのかは分からなかった。 通りの向こうはよく見える。 交通量はそう多くない。 路肩に停まっている車もある。 どんどん早足になり、すれ違う時には駆け出していた。 路肩の運転席の男も、不審に焦る秘書をじっと見ていた。 黒いSUVだ。 その数秒後。 鈍い音と悲鳴が上がって、振り返ると、秘書が道路の真ん中に倒れていて、車が、そのそばにあった。 黒いSUVだった。 信号待ちをしていたオール明けの女子大生は、自分のすぐ横をすり抜けて、秘書が道路に飛び出し、ど真ん中で立ち止まるのを見た。 「何?」 次の瞬間、車がその脇腹に突き刺さった。 声も出なかった。 何メートルも飛ばされて、転がった身体が、変な曲がり方をしていた。 クラクションの鳴り響く中、轢いた車は、交差点のど真ん中でぐるりと向きを変えて、秘書に近づいていった。 おかしい。 普通、車から降りるでしょ。 車に乗ったまま近づくなんておかしい。 恐ろしいのに、目が離せなかった。 運転席のドアが開いて、男が降りてきた。 朝陽が昇る。 ボサボサ伸びた髪と髭。 日焼けしてない鼻。 頬骨が高くて、頬がこけて。 鋭い目が、こっちを向いた。 男はそのまま車に戻り。 走り去った。 笑っていた。 こっちを見て、笑っていた。 「サイキさん」 びくりと足が跳ねた。 「すみません、寝てました?」 「いや、ありがとう」 反芻していた。 ブランケットをはがす。 「簡単に捕まったそうですよ。  車を捨てた波止場近くのカフェで、  ブランチしてたそうです」 顔から戸籍を割り出せなかった。 整形か、そもそも戸籍登録のない。 裏の男。 おそらくプロだ。 車から降りて姿を晒すなんておかしい。 カメラに映ったかもしれないのに。 いや、車の向きを変えてた。 多分カメラの位置は把握してる。 路肩に停まっているところも映っていない。 でも目撃者に見られて笑っていた。 車もすぐ見つかるところに捨ててる。 そこから離れようともしない。 「こいつ、何がしたいんですかね」 イクノが叩いた顔写真。 記憶をもとに作ったモンタージュ。 車の窓から、笑いかけてくる。 「記憶界析…?」 「え?」 「戻りました〜」 サイキの呟きは、ヤマさんの声にかき消えた。 「来た」 「本当に、記憶探索するんですか」 「準備よろしく」 有無を言わさない。 「イクノちゃん、  今日、いつもと違くない?」 ヤマさんが声をかける。 「はい、時短でいくそうです」 「時短?」 いつもなら、まずは被界析者をベッドに寝かせて、10時間近くかけてコピーを取る。 でも今日は、取り調べ室の椅子に座らせた状態で装置を付けてる。 隣の部屋で界析用のパソコンを開く。 「動作確認しますんで」 マイクを入れる。 取り調べ室のスピーカーが入る。 『聞こえますか?』 「聞こえまーす」 装置を取り付けられた男は、ニヤニヤ笑う。 壁際に座るイワイさんも、カメラに向かって頷く。 モニター上の波形が次々波打ち、中央のモヤモヤとした画像が波打つ。 『質問に答えてください』 「はーい」 『今日の天気は』 「曇り時々晴れ」 『今は何時ですか』 「大体10時くらい?」 波打つ波形を見ながら、数字を調整していく。 『あなたの名前は』 「クチナシ」 『それは本名ですか』 「本名ってなに」 『生まれた時に戸籍登録された名前ですか』 「それは知らない」 『ではいつから使っている名前ですか』 「忘れた」 「こいつ、まじめに答える気、無いな」 「いいんです。  どうせ界析すれば分かる」 サイキが背後から答える。 「準備は」 「感度は調整できてます。  でも地図は…」 「いい、始めます」 イクノがサイキに席を譲る。 『捜査員のサイキです』 「人が変わった。  あんたが界析すんの?」 目を覆われたまま、笑っている。 『質問に答えてください。  あなたは昨日の早朝…』 「人を轢きました」 ぞくりと鳥肌が立つ。 さっきまでのふざけた口調じゃない。 イワイさんも表情が変わる。 モニターが急速に動き出す。 サイキはカメラに映る男など見ていない。 界析用のモニターを通して、男の記憶を見る。 車を路肩に停めて、秘書が歩くのを見ている。 窓越しに、通行人と目が合う。 窓を閉じて、秘書の背を追うようにして、車を走らせる。 交差点が近づく。 右へ車線変更する。 秘書が走り出す。 加速する。 思った通りに、秘書は目の前にやってきた。 「こんなに早く分かるのか…」 モニターを覗き込んでいたヤマさんが、感心して呟く。 しかしイクノは気が気じゃない。 班長を見上げる。 サイキが休んでいる間にイクノがまとめた報告書を読んでいた。 「こいつ、記憶界析にケンカ売ってるな」 「え?」 「防犯カメラは避けてる。  秘書が直前まで使っていた端末も、  回収していった。  逃走経路も、カメラを避けてる。  なのに人に見られるのは気にしてない。  むしろ顔を見せてる。  記憶界析に挑んでいるかのようだ」 イクノは、サイキが呟いたのを思い出す。 実行犯は、何がしたいのだろうかと聞いて。 「記憶界析…?」 たしかそう呟いたのだった。 『轢いた人を知っていますか』 「お偉い議員の秘書でしょ」 『それを分かっていて轢いたのですか』 「まあね、うん」 『なぜ、轢いたのですか』 「そういうリクエストだった…んだっけ」 記憶が疼く。 波打っていたモニターに像が結ばれる。 秘書の顔写真を持っている。 裏に名前が書いてある。 コサカイ・ケイタ。 こいつを殺せばいい。 不審死ではなく、事故として処理しやすく。 分かりやすいやり方で。 そういう話だった。 『誰からの話だ』 「誰だっけ」 車にひとりだったけど、誰かと話していた。 ミラー越しの自分の顔が見える。 携帯端末で指示を受けた。 『指示を出したのは誰だ』 「誰だろう」 ぐにゃりと像が歪む。 『電話の相手は誰だ』 「誰だ」 記憶を辿る。 電話の向こう。 何を言われているのかは分かる。 でも、声音も、言葉の癖も、湧き上がらない。 通話を終えて。 携帯端末を耳から離して。 その画面は。 真っ黒だった。 モニター上に。 黒い穴が開いた。 「まさか」 イクノが息を呑む。 黒い穴を。 覗き込む。 誰? 何? 何もない。 虚ろだ。 真っ黒だ。 右も左もない。 下も。 上もない。 入ってきたはずの穴もない。 何もない。 真っ黒な中に。 自分だけが異質だ。 マイクのスイッチとキーボードに触れている。 そこから手を離すと、消えていった。 どんなに手を伸ばしても。 何にも触れない。 真っ黒な中に。 自分も溶けていく。 誰だ。 誰だ。 声が虚しく反響する。 なぜ殺した。 なぜ殺した。 分かっているのに。 あんたの意思じゃないだろう。 俺の意思じゃないと思う。 誰が得をする。 俺以外の誰か。 誰だ。 誰だ。 記憶界析を使いたい奴。 国民を監視したい奴。 思想統制したい奴。 指示したのは、防衛大臣じゃないのか。 ああ、そうか。 そうだ。 「マイク切ってください!」 イクノが叫ぶ。 唐突に音が聞こえた。 思考の波じゃない。 空気の震えだ。 鼓膜があることに気づいた。 「サイキ!」 襟首を掴まれた。 服を着ていることに気づいた。 イスから立ち上がらされ、座っていたことに気づいた。 真っ黒な穴から這い出す。 床に転がる。 冷たい床に触れる。 床がある。 下がある。 上を見る。 イクノがモニターに向かい、必死にキーボードを叩いていた。 取り調べ室の方では、イワイさんがスピーカーのコードを抜いていた。 ヤマさんが頬を叩く。 頬がある。 「サイキ!  返事しろ!」 息を吸い込む。 肺がある。 「はい…」 声帯もあって、舌もある。 「どうなってる…」 班長の声がする。 「なんですぐに捕まったのか、  捕まっても余裕だったのか、  納得です」 イクノがサイキを見下ろす。 「記憶を、  消されてました」 モニターにはまた、黒い穴が映ってる。 その中央に、さっきまでなかった、赤い点が。 ひとつ。 黒い海に浮かんでいる。 防衛大臣じゃないのか。 そうか。 そこへ、次々に線が伸びていく。 「なんだ?」 「偽記憶形成です」 四方八方からギザギザと線が伸び、黒い穴を塞いでしまった。 線の隙間からは、穴があったことが分かる。 「彼にはもう、  記憶界析はできません。  偽りの記憶ができてしまった」 「そうか、  大臣、  そうだそうだ」 取り調べ室では、クチナシ男が、惚けた顔で。 笑っていた。 「罠だったんですよ。  界析官を嵌めるための、  落とし穴」 ひき逃げ事件が起こってから、丸2日経つ。 界析失敗は初めてじゃない。 でも。 明らかに嵌められた。 誘いに乗ってしまった。 取り返しのつかないミスだ。 サイキはただ机に臥して。 ボロボロの身体を丸めていた。 「魔女ですよ」 「まじょ?」 「そう」 額に氷嚢を当てる。 イクノが差し出したコーヒーを煽る。 「逆に頭痛くなりません?」 その氷嚢、と額を指さす。 「薬が効かないんだ」 万力で締め付けるような痛み。 オーバーワークだ。 界析を休みなく行うと出てくる特有の頭痛。 気が狂いそうだ。 「魔女って?」 少しでも気を逸らしたい。 「薬物課で最近あるんだそうです。  違法薬物をどこから入手したのか、  その経路だけ記憶が抜けてるんです。  薬物使用者によくある記憶混乱じゃない。  精密に、証拠隠滅されてる。  噂では、  金を積むと記憶消去してくれる、  闇医者ならぬ闇界析屋がいるらしいです。  それが、魔女と呼ばれてる。  正体はずっと掴めないままです」 「魔女が記憶を消したから、  堂々と捕まることができたわけか」 「そういうことです。  あんなに分かりやすく、  指示した相手だけを消してあれば、  誰だって穴に落ちますよ」 「いいよ、慰めなくても」 「慰めてません。  いきなり記憶探索なんて、  危険すぎたんですよ。  通常の界析の後なら、  穴があることには気づけた」 「分かってる」 後悔したって、偽記憶形成の失敗は取り消せない。 どうにもならない。 班長たちが取り調べをしてるけど。 偽記憶の作られた後の証言なんて使えない。 「どうすれば…」 内線が鳴った。 イクノが取る。 「はい。はい…」 ボソボソと喋り、すぐに受話器を置く。 「ユウキ議員が病院に」 「行ってくる」 氷嚢を置いて立ち上がった。
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