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「おーい、佐崎さーん」
駄々をこねるA3サイズの時間割表と睨めっこをしていると、カウンターの向こう側から『さーん』が裏返った間抜けな声に名前を呼ばれた。
「あっ、暮石先生、ちょうど研究室にお電話しようと思っていたところでした」
私が立ち上がると、白衣を着た黒縁眼鏡の中年男性は目を細めながら片方の口角を上げ、不細工な笑みを浮かべた。寝癖なのか天然パーマなのか、はたまたお洒落パーマなのか、判断し難い白髪混じりのウェーブが、今日もキマッている。
「おっ、何? ひとまずこれ、休講届持って来た。よろしく」
右隣の同僚とその隣の新人が開けるだけ開けて椅子の後ろに放ったらかしている、邪魔くさい3つの段ボールを避けながら3メートルほど先のカウンターに辿り着くと、見本を誇張したような『とめ・はね・はらい』が麗しい黒の達筆が私の眼球を魅了した。
しかし、2秒後には眉間に力が込もった。
「休講は今日の5限……えっ、今日ですか!? 今日の今日!?」
「学生には先週の授業で伝えたから大丈夫。教務に届出すの忘れてただけだから」
「だけって。大丈夫って。先週休んだ学生がいたらその子は知らないじゃないですか」
「大丈夫だよ誰も休んでいないから。優秀なのよ今年の子たち。君たちの時代とは大違いで。なんつって、あはは」
「そ、そうですか……それはそれは。でも、掲示板の休講情報更新しなきゃいけないんですから当日は勘弁してください。休講理由は……」
教員の所属学部、学科、教員名に印鑑、休講の科目名、休講日、時限を確認し、休講理由欄に目を通した。
『来週の5、6限に2限続きでプラネタリウム鑑賞を予定しているため』
プラネタリウム……そう言えば今年からシラバスの内容が変わっていたっけ。
「生の空はやめたんですか?」
「この時期、6限の時間ってまだ明るいじゃん? 明るい夜空見上げたって面白くねぇんだよ。ただでさえこの辺の空汚ったねぇし」
「……確かに」
汚いと言っても、カラスに散らかされたゴミ置き場を見るかのような目で睨み付けるほど汚くはないと思うのだが。
「偽物で我慢してもらうことにした」
「偽物は偽物なりに綺麗ですけどね」
「そりゃぁ、偽物だからだろ」
「……偽物、だから?」
「偽物だからこそ綺麗なんだよ。綺麗じゃなかったら、何の魅力があるんだよ、偽物に」
確かに、一理ある。本物にはなれない、それでも、本物に劣らない魅力があるからこそ需要がある。不自然な美は時として自然な美よりも美しい。天井に光る星は夜空に光る星ではない。それでも、その美しさまでもが偽物なわけでもない。
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