第1話  1足す1は?

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第1話  1足す1は?

「先生! 1足す1は、どうして2なんですか?!」 ある日、教師である私に向かって、一人の子供がこんな質問を投げかけてきた。 ―――――――――――――――――――――* 「先生! 1足す1は、どうして2なんですか?!」  来たな。  少年の言葉に、私は心の中でニヤリと笑った。  私がこの問いを受けるのは、これが初めてではない。  教壇に立つようになってから、もうどれくらい経つだろうか。その長い年月の間には、こんな質問をしてくる子供は何度となく現れていた。  同僚の中には、こういう質問をする子のことを素直じゃないとか、面倒な奴だなどと嫌う者も少なくないが、私はそんな風に思ったことは一度もない。  いつの時代でも、新しい世界を創造するのは決まってこういう子達なのだ。  その証拠に、この真剣な眼差しを見ろ。  彼は決してふざけている訳でも、教師を馬鹿にしている訳でもない。本気で考え、悩み、正解を求めている。  そして何を隠そう、この私自身もかつては教師に向かって同じ質問をした、面倒な子供の一人だったのだ。 「1足す1が2になるのが不満なのかい?」 「不満ではありません。ただ、なぜそうなるのか分からないだけです」  彼は私の問いに、それこそ不満そうに口を尖らせた。  わかっているさ。意地悪な言い方をしてすまなかったね。 「そうか、では教えてあげよう」  少年の目が、驚きと期待で輝き出す。彼自身、まさか私が真面目に答えてくれるとは思っていなかったのだろう。  でも私にとっては、この反応は予想通りだ。 「答えは簡単。そう決めたからさ」  その瞬間、彼の目が一転して落胆の色で曇った。 「先生、僕はなぜそう決まっているのかを知りたいのです」  だがこの反応も、予想通り。 「ちゃんと聞いてなかったのか? 私はそう決まっているなんて言ってないよ。そう決めたと言ったんだよ」 「決めた?」  彼がオウム返しに聞いてくる。 「そう、決めたのさ。ルールとしてね」 「ルール?」  またもやオウム返し。  どうだい、このどこまでも予想通りな反応は。全く素直で可愛いじゃないか。 「そうだ、1+1=2。全ての始まりに、このルールを決めてしまったのさ」 「どうして? 何のために?」 「そうするのが一番簡単だったからさ。  いいかい? 1+1=2というルールの何が良いって、とにかく簡単で破綻がないことだ。  まずはこれを、絶対の基本ルールと決めてしまう。  そしたら後は、そのルールを応用して積み重ねていくだけ。その先はいくらでも発展させることが出来る。  1+2=3になるし、5+5=10だってできる。掛け算も割り算も、全部1+1=2の応用だ。  そうやってそのルールをどんどん積み重ねて行けば、世界の全て、ありとあらゆるものを描き切ることができるんだ。どうだい、すごいだろう?」 「世界の……、全てを……?」 「そうだ。海も山も、空の太陽も星の運行も、全て1+1=2の応用だ」 「じゃあ、じゃあ! 最初に1+1=3ってルールを決めていたら、それで世界を描くことができるんですか?!」 「そうだよ」  私は、こともなげに答える。 「そんなことが本当に出来るんですか?」 「実際にやろうとした、いや、やった者は大勢いるよ」 「それで、ちゃんと出来たんですか?」 「残念ながら……」  私は首を横に振った。 「やはり、なかなか難しいみたいだね。  彼らは、1+1=3だけでなく1+1=10とか1+1=決まってないとか、様々なルールに基づいて世界を表現しようとした。  でもやっぱり、どこかで破綻したりとか変に歪んでしまったりとか、おかしな世界しか創り出すことが出来なかった」 「そうですか。やっぱり1+1=2は絶対なんですね」  彼はそう言って肩を落とした。  なあに、そんなにがっかりすることはない。世界はそれだけで出来ているのではないということも、私は知っているのだよ。 「それが、そうとも言い切れないんだな」 「えっ、どういうことですか?」  彼が顔を上げた。 「例えばだ。ここに一枚の絵があったとする」 「はい……」 「ある者が、その絵に金貨10枚の値を付けた。そして別の者は金貨20枚の値を付けた。  最初の者はどうしてもその絵が欲しかったので、金貨30枚を出すと言い出した。  後の者はそれを聞いて、金貨40枚と言った」  彼は、私の話にじっと耳を傾けている。私が何を言おうとしているのか、真剣に考えているのだ。  ああ、本当に将来が楽しみな子だ。 「そこへ、また別の者が現れた。  その者は言った。『そんな食えもしない物に大金を出すなんて馬鹿馬鹿しい。金貨40枚も出すなら、パンが山ほど買えるじゃないか』と。  それを聞いた二番目の男は『やっぱり俺は降りる』と去って行き、最初の男は『それでも俺は絵が欲しい。金貨5枚でどうだろう』と言った」  彼はそれを聞いて「ああ……」と溜息を洩らした。 「ところが! その百年後、その絵はとある大富豪が金貨1万枚で手にすることになったとさ」 「え?」  彼が眉をひそめる。私がいったい何を言おうとしているのか、本当に分からなくなってきたようだ。  混乱させてごめんね。でも、ここからが本題なんだ。 「さて君。この絵の本当の価値を、1+1=2の応用で説明できると思うかい?」  その言葉に、彼は目を丸くして私を見つめた。 「えっと……。で、できないと思います」 「どうして?」 「だって、絵はたった一枚あるだけでそれ自体は何も変わっていないのに、値段が上がったり下がったりするのは変です。  1+0が勝手に20になったり40になったりしちゃってます」 「そうだね。では、どうしてそうなってしまうのだろう。何が原因だと思う?」  彼は腕を組んで考え出した。  今、彼は世界と真摯に向き合おうとしている。ああ、こんな真剣な顔を見られるだけでも教師冥利に尽きるというものだ。  暫くそうして考えた後、彼はおずおずと口を開いた。 「……人間の…欲……。ですか?」  素晴らしい! 私は彼を抱き締めたくなった。  そうだ。人間の欲というものは決して理屈で割り切れたりしない、本当に不合理なものなのだ。  私もかつて、この人間という厄介者に何度となく苦汁を飲まされたものだ。本当に、本当に苦しめられた。  だが同時に、ただの布きれと泥水を素晴らしい絵画に変えてしまうのもまた人間なのだ。  私は、彼に微笑んだ。 「その通りだ。でも、それは決して悪いことではないんだよ。  欲とは一つの現象に過ぎない。その本質は、意志の力だ」 「意志の力を創造に変える……。それは神の力ではないのですか?! 人間は、神の力を身に宿しているのですか?!」 「そうかも知れないね。でも、そこにヒントがあるとは思わないか? 1+1=2のルールに縛られない世界を創り出すヒントが」  昔のことを思い出す。  かつて私も、一つの世界を創造したのだ。それもたったの六日間で。  何もないところから始めて、六日のあいだ無我夢中の不眠不休で一気に完成までこぎつけ、その翌日は力尽きて起き上がることすら出来なかったというくらいの荒業だった。  若かったとはいえ、無茶をしたものだ。  1+1=2のルールによって創られた世界は、それはもう完璧と言って良いほど素晴らしいものだった。  その大切な楽園を荒らしたのが、人間だ。  人間は私が決めたルールを守らず、好き放題に私の世界を食い散らかした。私はその所業に怒り狂い、せっかく創った世界を何度となく滅ぼしたりもした。ああ、あの頃は本当に若かったな。  だがそれでも、私は人間を見限ることだけはしなかった。  確かに人間という生き物は、あまりにも愚かで度し難い。だが私は、人間の持つ可能性を捨て切ることが出来なかったのだ。  何故ならその可能性とは、今、目の前に立つこの子が持っている可能性と、何も変わらないものだったのだから。 「ヤハウェ先生。僕、いつかきっと自分の世界を創造してみせます。  それが1+1=3の世界なのか、他の何かなのかは分かりませんけど、でもきっと今までにない新しい世界にします!」 「ああ、君ならきっと出来る。楽しみにしているよ」  お世辞なんかじゃない、この子ならきっとやり遂げてくれるだろう。  いつの日か、彼が立派な神となって新しい世界を創造してくれる。その時を想い描きながら、私は彼に心からの祝福を送った。
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