運命の歯車

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 帰りのバスはガラガラで、乗客はわたしとユーシャンのふたりだけだった。  さすがに疲れたのか、ユーシャンは窓にもたれて眠っている。わたしもバスの揺れが気持ちよくて、背もたれに頭をあずけてうとうとしていると……。 「ミヅキ」  後ろから名前を呼ばれた。 「なあに? ユーシャン」  ユーシャンのほうを見たけれど、彼女は同じ姿勢のまま動かない。まだ眠っているみたいだった。それにユーシャンが呼んだのなら、声は横から聞こえるはず……。 「ミヅキ。私よ」  クスクスクス……。  その笑いが聞こえた瞬間、わたしは全身の血が一気に凍りついたような気がした。 「メイズ……さん?」 「あたり」  クスクス笑いに混じって、カラ、コロ、という小さな音が聞こえる。口の中で転がした飴玉(あめだま)が、歯に当たってたてる音だった。 「昔のことをずいぶん熱心に調べていたじゃない。まいまい迷子のお嬢さん……なにをそんなに知りたいの?」 「わ、わたしは……」  喉がカラカラになって、それ以上言葉が出てこない。  初めて、メイズさんのことを怖いと思った。  メイズハウスでの不気味なできごとがあったから、だけじゃない。これまで夢の中の存在だったメイズさんが、現実で話しかけてきたのは――動物園の水槽の中にいるからと安心して観察していたワニが、気づけば自分のすぐ隣にいたような、そんなゾッとする感覚だった。 「どうして……。夢じゃないのに……」 「クスクス。なにをそんなに怖がっているの。心配しなくても、なにもしないわよ。あなたたちは、私を自由にしてくれた恩人じゃないの」 「自由……に?」  メイズハウスの人形。木箱を封印するみたいにして貼られていた、あのお札。 「じゃあ、やっぱり……」 「そうよ。あなたが見たのは私のカラダ。ずっとあそこに閉じこめられていたの。でも、あなたたちのおかげで、ようやく外に出られた。これでもう、どこにでも行けるし……お腹いっぱい食事もできる」  カラ、コロ、と飴玉の音。  なにを食べているんだろう。わたしは、やけにそれが気になった。だけど、それを確かめるには後ろの座席を振り向かないといけない……。 「……わたしをだましたの?」  心臓が、ロックバンドのドラムみたいに鳴りはじめていた。 「メイズさんは、わたしたちにあの箱を開けさせたかったんでしょ。だから昨日、真珠ちゃんたちに追いかけられたとき、わたしたちをメイズハウスまで誘導したんだ。友達になろうって、言ってきたことだって……最初から……」 「クス、クス、クス。運命というのはね、ミヅキ。時計みたいなものなのよ。ひとりひとりの人間は、時計を動かす歯車にすぎない。たとえ、あなたが自分の意思で行動していると思っていても、結果はすべて決まっているの」 「質問に答えて……!」 「私が言いたいのはね、ミヅキ。あなたとユーシャンは、いずれあの箱を開ける運命だったということよ。私は、それが少し早まるように、歯車を調整しただけ……。それに、あなただって得をしたじゃないの。迷子のあなたに道案内したり、テストの答えを教えてあげたりしたでしょう? 私だって、少しは得をする権利があるはずだわ」 「だけど……」 「あなたが気にしているのは、真珠のこと? なら心配は要らないわ。どうせすぐに片がつくもの。だから……ねえ、ミヅキ。これからもお互い、仲よくしましょう?」  囁き声とともに、氷のように冷たい吐息が、座席の隙間から吹きつけてくる。  わたしがイスから飛び上がったのと、肩を強い力でつかまれたのは、同時だった。 「……深月!!」  振り向くと、ユーシャンが心配そうにわたしを覗きこんでいた。 「ユ……ユーシャン。そ、そこに……そこにメイズさんが」 「しっかりして深月。あんた、ひとりでずっとしゃべってたんだよ。私が話しかけても、ぜんぜん反応しないし……」 「え? ……あれ?」  覗いてみても、後ろの座席には誰もいなかった。  夢を見ていたのかな……。  そうも思ったけれど、メイズさんの吐息をあびた首筋は、それからもしばらく、鳥肌がたったままだった。  次の日。土曜日。  昨日まで元気いっぱいだった夏の太陽はどこかに隠れてしまい、朝からシトシトと陰気な雨が降っていた。  待ち合わせ場所にやって来たユーシャンまで、心なしか顔が青ざめてみえる。 「ユーシャン、どうかしたの」 「うん。……ばあちゃんからのメール、読んだんだけど……いや。見せたほうが早い。とりあえず来て」  と、さっさと歩きだしてしまう。  わたしは寝不足のフラフラした足どりで、ユーシャンを追いかけた。  またメイズさんが現れるかもしれないと思うと怖くて、昨日はよく眠れなかったのだ。  当たり前だけれど、ユーシャンの家はごく普通のマンションの一室で、これといって台湾っぽいところはなかった。それらしいところと言えば、家の中にある本や雑誌が日本語のものと台湾の繁体字(はんたいじ)で書かれたもの、両方ごたまぜになっていることくらいだ。  ユーシャンの性格どおりにムダなくスッキリした部屋には、大きなパソコンがあって、写真を見るためのアプリが起動しっぱなしになっている。  画面に表示された写真には、漢字のびっしり書かれた、手帳のページが写っていた。相当古いものみたいで、紙は黄色く変色している。字も手書きで、かなり読みにくい。 「……これが?」 「そう。私のひいじいちゃんの日記。ばあちゃんに頼んで、日本に来たときのことが書かれてるページを探してもらった。で……」  ユーシャンは口ごもった。いつもはハッキリものを言うのに、珍しい。 「どうしたの」 「……イヤなことが書いてあった。深月は知らないほうがいいかもしれない」  一瞬、昨日メイズさんが現れたときのことを思い出して、背筋が冷たくなった。  ……だけど。 「教えて。わたし、知りたい。知らないままなんて……もっとイヤだし」 「……わかった」  ユーシャンは頷くと、写真を指さしながら説明をはじめた。
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