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「ひいじいちゃんは昔の人だし、字も汚いから、私でも細かいとこはわからない。だからザッと概略だけ話す。日付は民国四十四年……西暦で言うと一九五五年だから、戦争が終わって十年後くらいかな。道士……道士だった私のひいじいちゃんのところに、日本から一通の手紙が届いた」
「どーし?」
「あー……日本で言うと、神社の神主みたいなもの……かな。神社じゃなくて、道教の廟にいるのが道士。ばあちゃんが占い師やってるのは、道士だったひいじいちゃんの影響なんだ。逆に母さんは、そういうの全然信じてないけど」
「そうなんだ……」
わたしたちの占い遊びにいい顔をしなかったユーシャンの考えは、実際どっちに近いんだろうか。おばあさんみたいに、占いを信じたうえで大切に思っているのか、それとも、お母さんみたいに懐疑的なのか。いろいろ考えてしまう。
「続けるよ。ひいじいちゃんに手紙を送ってきたのは、戦争中に知り合った、日本人の男だった。名前は……三次九重郎」
「わたしの、ひいおじいちゃん……」
「そう」
ひいおじいちゃんがふたりも出てきてややこしいので、これ以降、ユーシャンのひいおじいちゃんをウー道士、わたしのひいおじいちゃんを三次氏と呼ぶことにする。
さて、三次氏の手紙は、鬼にとり憑かれて困っているから、これをなんとか退治してくれという内容だったらしい。
「ぐい、って?」
「幽霊のこと。漢字では鬼と書くけど、日本のオニとは別物だと思って」
三次氏がどうして、台湾にいるウー道士に鬼の退治を頼んだのかというと……それが、もともと台湾にいたものだったからだ。
その鬼は、人形に憑いていた。
三次氏は戦争が終わって台湾を離れるとき、台湾で手に入れたその人形を、日本へ持って帰ってきてしまったのだ。
なぜならその人形は、持ち主を幸福にすると言われていたからだ。その人形を占いの道具として使えば、たとえ未来の出来事でもピタリと当たるという噂だった。
「人形……。占い……?」
わたしは、体じゅうを冷たい汗が流れ落ちていくのを感じた。
周囲のひとびとが戦争の影響で貧しい暮らしをしている中、三次氏は人形の力を使ってあっという間に財を成した。だが……彼は気づいてしまった。その人形に、恐ろしい鬼がとり憑いてたことに。
だから三次氏は、ウー道士に助けを求めたのだ。
ウー道士は三次氏の頼みに応え、日本の北斗市に向かった。
そして、人形の鬼と対決し……たいへんな苦労のすえ、これを木箱に封じこめることに成功したのだという。
「いったいどんな戦いがあったのか、詳しくは書かれてない。だけど、ひいじいちゃんにはふたつ、気がかりなことがあったみたい」
ひとつは、封印のときに自分の血を使ったこと。これはとても強力だけれど……もし、自分と同じ血を使われたら、封印の効力がなくなってしまう。
そしてもうひとつは、戦いの中で、自分と三次氏が呪いの印をつけられてしまったこと。
「……呪いの、印?」
「ひいじいちゃんはこう書いてる。――人形の鬼は奇門遁甲の秘術で未来を知り、人を惑わし、そして……運命を操る。たとえ封印されていても、鬼はこの呪いを通じて少しずつ、少しずつ、自分たちの運命をねじ曲げようとしてくるかもしれない。いつか、遠い未来に……封印の箱が、ふたたび開かれるように」
ユーシャンはごくりと唾をのみこむと、自分の左手にある傷跡を指さした。丸の中に「S」を描いたような傷。そしてわたしにも、まったく同じ形のアザがある。
「これを読んで気づいたけど……私たちのアザの形、太極図に似てる。太極図っていうのは、道教で宇宙の理……つまり、なりたちや仕組みそのものを表すマークなんだけど……ここに書いてある奇門遁甲っていうのも、道教の占いのひとつなんだ」
太極図。道教。奇門遁甲。知らない単語がぞろぞろと出てきて混乱したけれど、ユーシャンが言いたいことはわかった。
わたしたちのアザと、ウー道士の日記に書かれている人形の鬼が、どうやら無関係ではないらしいということだ。
「で……でもさ。そのグイがメイズさんだって、まだ決まったわけじゃないでしょ?」
自分で口にした言葉が、やけにウソくさく聞こえた。それでもわたしは、まだ信じたかったのかもしれない。友達になろうと言ってくれた、メイズさんのあの言葉を。
でもそんな希望は、すぐ粉々に打ち砕かれてしまった。
「これを見て。ひいじいちゃんは、人形に憑いた鬼の名前を書き残してる」
ユーシャンが指さした漢字は、わたしでも読めるものだった。
――迷子小鬼。
「まいご、こおに……?」
「日本語ではそう。でも、中国語の発音だと――『メイズゥシャオグイ』」
「メイ……ズ!?」
じゃあ、英語のメイズじゃなかったんだ。
メイズハウスは、きっと中国語の「メイズゥ」を理解できなかった誰かが、屋敷の迷路とこじつけて勝手につけた名前だったんだろう。
「言葉の意味は日本語の『迷子』と同じだけど、迷子になるのはこいつ自身じゃない。人の子供をまどわし、迷子にする……だから迷子小鬼っていうんだ」
わたしはたまらず、フローリングの上に座りこんでしまった。
これまでバラバラだったピースが、頭の中ですべてひとつになろうとしていた。
なにもかも、メイズさんが自分の封印を解かせるために仕組んだことだった。
わたしとユーシャンが、この北斗市に引っ越してきたのも。真珠ちゃんたちが、ユーシャンを追いつめていったのも。……わたしが……勇気を出して、ユーシャンを助けようとしたことだって……メイズさんにとっては、計算のうちだったのかも。
――ひとりひとりの人間は、時計を動かす歯車にすぎない。
昨日のメイズさんの言葉が、何度も頭の中に反響していた。
これからどうすればいいのか、わたしたちにはまったくわからなかった。
メイズさんを自由にしてはいけなかったのだろうとは思う。だけど、これからがなにが起きるのかまでは、ウー道士の日記を読んでもわからない。
わたしは言葉少なにユーシャンに別れを告げて、自分の家に帰った。
雨足が強くなり、土砂降りになった、その日の夜――うちに電話がかかってきた。
倉橋ゆにちゃんが事故で亡くなった、という知らせだった。
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