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象さんがさすまたで遊んでいる。我が息子からのプレゼントだ。オープンカーでなければ最高の光景だ。だが、オープンカーの今、中村家にとって絶望的な光景だ。
わたしは念じてみた。
そう。象は優しい動物だ。実際、聡太が手渡したさすまたを警戒することなく受け取ったのだ。わたしが念じればそれも伝わるのではないだろうか。
象さんっ。
返しておくれ。
息子がとんだ失礼をした。その楽しそうなものはさすまたと言って、危険な生物との距離を保てる大事なものであるからして……。それは門倉さんも言っている通り最強の武器となるわけで…………。うんたらかんたら……。
ふと、聡太が無邪気に象さんへ大きく手を上げた。その大きな動きに象さんが反応した。
象さんは嬉しそうに鼻を勢いよく天へ振り上げ、さすまたは天高く放られた。
だあぁぁぁああっす!!
聡太は盛大な拍手を送っている。太陽と重なり、輝きながら遠ざかるさすまた。唯一の生命線が空へ小さくなっていく。
「さすまたっ! さすまたーー!!」
わたしは人類史上はじめて『さすまた』という単語を100デシベルで発した男となった。
さすがに動転した。隣で聡太はまだ拍手している。象さんは飽きて水を飲んでいる。
「パパは草食動物ゾーンで武器を失うと思ってなかった! 聡太、ピンチよ。象さんにあげちゃって大ピンチ。中村家ピンチ!」
聡太をゆさゆさと揺らした。息子に大変なんだと分からせねばならない。
聡太はさっきまで象さんへ笑っていた顔から一転、口をきゅっと結んだ。
……言い過ぎたか……。
「ピンチはチャンス!」
キッと眼光鋭く、聡太は拳を握った。
いや、そんな台詞どこで覚えたんだ。しかも今は正真正銘のピンチはピンチである。
自動運転のオープンカーは待ってくれない。ガチャンと音が鳴り、鉄格子の柵が自動で開いていく。
『爬虫類ゾーン』
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