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杉本夏樹は、汗ばんだ手を握りしめながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
傍らの時計にちらりと目をやる。
──12時13分。今、14分になった。
「……では、そちらを、削除してください」
『っ! で、でもっ』
電話の向こうで、女性が息を呑む。
「大丈夫です。削除して、構いません」
『……触るな危険、と書いてありますが……』
声を潜めた女性が、恐る恐る囁く。
「大丈夫です」
動揺している女性を落ち着かせるよう、夏樹は努めて優しい声を出す。
「心配は要りません、大丈夫ですから」
『……分かりました……』
頭につけているヘッドセットの位置を軽く直し、夏樹は相手に聞こえないように、そっと息を吐いた。
背の低いパーティションの向こうで、小さく頷くチームリーダーの阪木と目が合う。今まで夏樹の会話を共に聞いてくれていた阪木は、自身のヘッドセットを外して立ち上がった。
夏樹の側に来て2つ折りのメモを差し出すと、肩をポンと叩いてその場を立ち去る。
夏樹は、そのメモを開いて目を落とした。
──休憩はログアウトしてから1時間取るように。今日中に報告書提出、お疲れ。
(またかよっ! 今月、何回目だよ)
今回の着信は11時45分、現在の時刻は12時15分を回っていた。
夏樹は肩を竦める。
『消しました……あっ、1つだけ残りました! ……あ、これです、このデータです!』
「それが最新のデータでお間違いないですね?」
『はいっ。うわぁ、ありがとうございます! ほんとに助かりました』
「いいえ、良かったです」
感謝の言葉に、夏樹の頬も緩む。この瞬間に、全てが報われる気がするのだ。
会計ソフトのコールセンターに勤めて2年目。この仕事は、嫌いではない。
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