2.

1/1
前へ
/6ページ
次へ

2.

 少しずつ、少しずつ。  目には見えない埃のように、疲弊が降り積もっていく ――  妻が自殺未遂を起こしてから、3週間が経った。  幸い一命は取り留めたものの、妻は今…… 病院のベッドの上でたくさんの管に繋がれて、眠ったままだ。  いつ目覚めるかわからないし、目覚めてもどこまで機能が回復するかわからない。  半身不随かもしれないし、最悪は寝たきりになるかもしれない、という。  ―― 妻は用意周到で、髪を整えきちんと化粧し、昔デートで着てきたことのある白いワンピースの下に大人用のオムツを履き、首を吊った。  下剤を使って腸の中を空っぽにしたあとだったそうで、オムツの中に出てきたものは、ほとんど無かった。  そういえば前の晩から 「体調が悪い」 と何も食べていなかったが、もしかしたらそれも、自殺する予定であったからかもしれない。  いったい、なぜ、そこまでして…… 妻は、自殺しようとしたのだろう。  さっぱり、思い当たりがない。  理由を知る唯一の手がかりは、妻の傍に落ちていたエコー写真。  モノクロの丸の中には、何も写っていない ――  数週間前に、この写真を見せながら、産科医は淡々と、妊娠初期の稽留(けいりゅう)流産について説明した。  ―― 胎内での着床に、失敗してしまったようだ。  原因は主に染色体異常と言われており、母体のせいではない。  もし万一、生まれたとしても、何らかの障害を持っている可能性が高い子だった ――  妻はかなりのショックを受けたようだが、俺にはいまいち実感のわかない話だった。  医師からきいた稽留流産の確率は思っていたより高く、誰でもなる可能性がある。  だから、なってしまえば 『運が悪かった』 としか、言いようがないことなのだ。  なのにどうして、それほどショックを受けているのか…… もしかして妻は、俺に隠してることがあるのだろうか。  帰りの車の中で、尋ねた。 「もしかしてお前、子どもができにくい体質なのか?」  隠していたことを責めないよう、できるだけ平坦な口調を心がけたのだが、妻は黙って、ひとことも答えなかった。 「できにくくても、不妊治療もあるじゃないか。気を落とすなよ」  元気づけようとしたが、妻はやはり、口をつぐんだままだった。  こうも無視されると、こっちが気を遣うのがバカみたいだ。  俺もそれきり、黙って車を運転した。  ―― 妻が自殺しようとしたのは、やはり流産のせいだろうか。  エコー写真の空っぽの暗い丸の下には、妻の字で走り書きされている。 『話しても あなたには わからない』  それはそうだろう。  妻の胎内で消えたのは、ただの受精卵で、生命ではなかったんだから。  いくら妻が毎晩泣いて呼び戻そうとしたところで、それが通じる相手ではないのだ。  釈然としないものを感じながらも毎日、仕事後に病院に寄り、妻の変わらない寝顔を見て、帰宅する。  食事は外食かコンビニで済ませ、着替えは1週間に1度まとめ洗いし、掃除もなるべくするようにして……  なのに、家の中が荒れていく。  気がつけば洗面台が黒ずみ、部屋の隅が埃でおおわれ、くずカゴにはゴミが溢れている。  少しずつ、少しずつ。  妻の不在が、降り積もる。  家の中にも、俺の中にも。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

110人が本棚に入れています
本棚に追加