1.未練に蓋を

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1.未練に蓋を

 アルコールの種類は勿論、料理も内装も凝った洒落たバルでは、客層は女性が殆どを占めている。時折女性の笑い声が上がるが、居酒屋のような騒がしさはない。  店内もテーブルごとにパーテーションと天蓋で仕切られており、飲みながら語るには持って来いであり、週末になると直ぐに満席になる上に回転も悪いため予約が必須だ。    大瀬羽菜はスティックサラダのセロリの先端にディップソースを付けて齧った。味噌の風味がふんわりと口に広がる。 「好きねぇ、セロリ」  幸せそうな羽菜を見つめて、仲地莉子はカクテルを一口飲む。 「やっぱこれでしょ。本当に美味しいもの」 「いや、生野菜なんてどこでも味は変わらないでしょうよ」 「いつもそれ言うけどね、雰囲気って大事なの。素敵なお店と、美味しいお酒、そして目の前には親友!」  照明を反射した大きな瞳をキラキラと輝かせながらそう言い切る羽菜に、莉子も目尻を下げる。 「うちの子は本当に可愛いわ」 「出た! 莉子ママ!」  長身で美人な莉子と、平均より低めの身長で童顔の羽菜は昔から同い年には見られない。それでもやたらと気が合うので、小学四年生で知り合ってから今までずっと、中学も高校も大学もすべての進学を共にしてきた。  さすがに就職まで同じ、というわけにはいかなかったが。  もちろん地元で何社か同じ会社の面接を受けたものの、優秀な莉子が内定をもらったところは羽菜は軒並み全滅であった。    こうして十二年目にして初めて、離れ離れの生活となったのが去年のこと。それでも職場は一駅分離れているだけなので、こうして週末になると莉子がいつもどこかしらを予約してくれて二人だけの女子会となる。    柔らかな外見どおり人当りの良い羽菜は基本誰とでも仲良くなれる。しかしそれでも唯一無二の親友である莉子ほど気心が知れた人物はおらず、一番の理解者だ。多少依存してしまっている感は否めないが。莉子だって羽菜が可愛くて仕方がないと言っているから、お互いさまだと思っている。    しかし就職によって初めて離れて、莉子離れをするいい機会になったと今では思う。  初めは寂しくてしかたなかったが、一生彼女にべったり引っ付いていて、彼女の人生の重荷になってしまうのは嫌だ。彼氏が出来てもいつも羽菜を優先する莉子は、そんなこと絶対言ったりはしないだろうけど。ちなみに羽菜が莉子の彼氏に遠慮しても、そんなことを許せない男は要らないと言えるのは彼女が美人でもてるからに他ならない。   「彼氏が出来たら真っ先に莉子に報告するからね!」 「当たり前でしょ! どこの馬の骨とも分からない男に可愛い羽菜を任せられないわ」 「「で……」」  同時に声を出し、その内容が同じであることに二人してすぐに気づいて吹き出した。 「代表して羽菜言ってよ」 「どうよ? 莉子から先に答えて」  羽菜のその言葉に、莉子は肩を竦めた。その態度だけで理解してしまうのは過ごした年月からか。 「いないのね。会社に素敵な人」 「まぁね、大体まだ仕事覚えるのに精いっぱいだもの」  そう言うと莉子はオリーブを口に入れ、刺さっていたピックを小さく振った。 「確かにね。慣れてきたと言っても次々に慣れない作業が押し寄せるのよね」 「今日もいつもと同じかぁ」  ルーティンと化したこのセリフは一応のお約束。しかし今日はいつもと違っていたのは羽菜の方で。 「うん、やっぱりさ、高校の時の彼が忘れられなくて……」 「ああ……」  しょんぼりとし出した羽菜の皿に、彼女の好物を取り分けた。 「今更だけどそんなに好きだったならなんで別れたの? えっと、名前なんだっけ?」 「……リオ君」 「お似合いだったのに……って今更か」  羽菜の表情で察した莉子はこの話題は終わりとばかりに締めくくった。 「今でも時々思い出すの。あのまま私が不安がらずに彼の手を離さなかったら、今はもっと変わっていたのかもって」 「うん、まぁ、原因があって別れたんじゃなかったよね? 長い間引き摺ってたじゃん」  再び話し出した羽菜の様子を見るに、少し酔っていて聞いて欲しいモードなのだろうと判断する。多分仕事のことでストレスもたまっているのだろう。 「リオ君を忘れるために、出会いを求めたけど付き合うまでいかなかったし……」 「うんうん。懐かしいね」  羽菜だって分かっている。その選択をしたのは自分だ。そして終わったことを蒸し返してしまったのも、仕事中に取った電話の声があまりにもその元彼に似ていたからだったのである。    * * *    高校生の時にできた初めての彼氏はファミレスでバイトをしていたときに、一緒に働いていた大学生だった。きっかけは彼が初恋だった男の子と似ていたから。  だから多分最初から他のバイト仲間の男の子たちより特別視していた。一緒にシフトに入ることが多くなり次第に仲良くなって、徐々に彼の為人を知り恋心を自覚した。  その頃には仲間内で公認となり、彼のほうから告白されて付き合うことになった。    やがてお付き合い初心者の羽菜の全ては、その彼と経験した。彼もそうだと言っていた。本当かどうかは定かではないが、女慣れしている風では無かったと思う。今となっては詮無きことだけれど。    好きで、好きで仕方がなかった。高校生と大学生、ライフスタイルですれ違いはあれど幸せだった。  しかしお互いいつまでも学生でいる訳にもいかず。羽菜の大学受験と彼の就職活動が重なるとさらに会えない日々が続いた。 「卒業したら彼氏と離れちゃうね」  そう莉子に言われて気づく。近い未来、環境が変わって今までのようには会えなくなることに。 「彼氏は地元はどこなの?」 「……」  答えられなかった。    そして羽菜は彼のことを何も知らない自分に気付いてしまったのだ。  知っているのは大学名と名前と誕生日だけ。  もしかしたら一時の気まぐれなのかもしれない。都合のいい女なのかもしれない。そう思い始めると、彼が信じられなくなってしまった。会う頻度が減っても電話口では変わらず愛を囁いてくれていたのに。  そんな自分が嫌で、誘われても学業を理由に断りがちになり。    大学進学で自宅を出て、同じ進学先の莉子と女子寮に入ったのをきっかけに別れを告げた。丁度彼の就職先も遠く、そのころには自信がなくなり遠距離恋愛をする気力がなかったのだ。納得いかないと言われたけれど、彼も忙しくなったのだろう、自然消滅となった。  それから大学で知り合った男の子といい感じになるも、彼としてきたことを出来るかと考えて二の足を踏んだ。以降誰とも恋愛はしていない。 「連絡先、残ってるんでしょ?」  消せなかった名前は未練の現れ。 「……まぁね」  この一連の流れを莉子と何度繰り返してきただろう。その度に未だ整理出来ていないのだと実感させられる。 「毎回言うけどさ……飲も? あ、愚痴っていい? 仕事のことなんだけど……」  莉子はさすがだ。羽菜が落ち込みかけると、スッと掬いあげて方向を変えてくれる。何度も相談したし、何度も愚痴った。未練はあるけれど、確実に過去の想い出となりつつあるのも事実。次に出会った人とは前を向いて恋愛出来そうな気がしている。 「いい人、すぐに出会えるよ!」  莉子がそういうなら間違いないだろう。 「私もそんな気がしてる!」  羽菜はスッキリとした表情でグラスを合わせた。
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