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ニカオモラマカハ島の秘密
むかーし、むかーしのお話。
日本列島には、妖怪がたくさん住んでいたのだよ。
人間と妖怪は共存共栄していたのさ。
しかしだね、江戸時代が終わると、日本は近代化へ向けて走り出した。
港は開放され、外国から多くの人々が入って来るようになった。
近代化は、妖怪には居心地が悪くてね。
理解してくれない外国人を相手に、悪さをする妖怪も増えはじめたんだよ。
その悪さは次第に悪戯の域を超えて行き、遂には人を殺す事態に。
妖怪と人間は戦うことになり、妖怪は、圧倒的な数の差で負けた。
裁判の結果、妖怪にも情状酌量の余地があると認められた。
妖怪は種別によって分けられ、人の住まない、小さな島を与えられたのさ。
小南麻耶はとても不機嫌だった。
夜も明けきらない早朝に叩き起こされたと思ったら、夫婦で出掛けるから、店番を任せるといわれたのだ。麻耶は未だ13歳。中学2年がひとりで店番できる訳がない。しかも麻耶の両親が営む店は食堂なのだ。仕込みは一通り終わらせたと聞かされても、調理に接客、会計まで済ませるのは、荷が重い。しかも間が悪い事に祖父母は、「リラクゼーションの旅」とかいうのに出掛けている。そもそも同居はしていないのだが、歩いて数分の場所に住んでいるので、問題があればいつでも駆けつけてくれるのだ。
「どうして、きょうなの!」
洗面所の鏡に向かい、ブラシで寝ぐせを直しながら麻耶は怒っていた。
「だってね、無料券の日付がきょうまでなんだもん」
朝から化粧を厚塗りにした母親の深津は娘の後ろで、手を揉みながら説得をしていた。美人で有名な深津だが、今朝は張り切り過ぎたのか、白粉を塗りたくり、顔だけが浮いて見えた。おまけに真赤な口紅が本来の唇よりも遥に大きく塗られ、まるで面白い顔に仕上がっていた。直視をしたら笑い出しそうなので、麻耶は鏡腰でも母親を見ないようにしていた。
「ふんっ」
うつむきながら、洗面所を出て麻耶が向かった場所は、家のリビングから廊下で繋がる店舗部分だった。自宅と店舗を結ぶ15メートルの内廊下を抜けると、長い暖簾がある。そこが客との境界線なのだが、その手前に厨房への入り口があり、店内にある7窓から太陽の光が燦々と降りそそがれている。いつもなら。
「ほら、未だこんなに暗いじゃないのさ!」
店内のカウンターテーブルの椅子に座る、父親の薫に向かい麻耶は叫んだ。薫は煙草を吸っていた。年を取ってから、はじめて授かった一人娘を、目尻を垂らして見つめていた。
「ねえ、お父さん、こんな小娘を置いて、未だ暗いうちに家を出て行くなんて酷いわ。しかもよ、お母さんたら、わたしに店を頼むっていうじゃない。きょうは木曜日で、学校にも行かないとならないのよ。なんて勝手な親なの。こんなの虐待よ、ネグレクトよ」
「まあまあマナちゃん落ち着いて、オレンジジュースでも飲むかい?」
「う、うん、飲むには飲むけど」
父親は、麻耶の大好物である生のオレンジジュースをこしらえてやった。こうすると、彼女の機嫌はだいたい直る。
「うちのオレンジは美味しいね」
薫の思惑通り、麻耶の関心はオレンジに移っていた。後は、彼女をおだて、気分を向上させるだけだ。
「マナちゃん、お外が暗いのは、いまが冬だからだよ。真夏ならば、この時間にはお日様が、お顔を出している」
薫はジュースの入ったグラスを、カウンター越しに座る娘に差し出した。娘はそれを両手で挟み、咽喉を上げてゴクゴクと飲んだ。麻耶の飲んでいる果物類は、家庭栽培で収穫したものである。少し詳しく説明すると、彼らが暮らすのは、太平洋のど真ん中にある常夏の島ニカオモラマカハ島。面積5K㎡、島民10人程度という小さな島の産業は観光で、週に2回、クルーザーが近隣の島から観光客を乗せて到着する。衣服や生活必需品などは、そのクルーザーが運んでくれていたが、食料に関しては、ほぼ全て自給自足であった。スーパー、ガソリンスタンド、飲食店、牧場はあるが、消防署や交番はなく、医師や獣医は、資格を持つ島民が担当している。
そしてこの家族は、船着場からほど近い場所に住んでおり、所有する敷地も広く、店舗前スペースには、乗用車20台が余裕で止められた。敷地の真ん中にポツンと店舗があり、その2階がおひとり様専用民宿、店舗に向かって左横、少し下がった位置に母屋、裏手は広大な畑になっていた。オレンジはその畑で採れたものだ。
「お日様が顔を出してないけど、朝だといいたいの」
「うーん、もうすぐ明けるから」
「いいわ」
麻耶は立ち上がると、腰に手を当てた。
「そんなにいうのなら、わたしひとりでお店を開けて、切り盛りして見せるわよ。まあ、どうせきょうは観光船も来ない日だし」
「それでこそマナちゃん」
薫が手を叩いていると、奥から妻の深津がやってきて、車の鍵を薫に投げて渡した。鍵をズボンのポケットに入れた薫は、厨房から出て娘の肩に両手を置いた。そして視線を合わせた。
「大丈夫、マナちゃんならできる」
そういって、思いを込めた眼でじっと見つめた。
「本当に、ひとりにして大丈夫かしら心配だわ」
薫が車を走らせても、深津は店を振り返り、前を見ようとしない。
「心配性だね、お前は。そんなんだから、いつまで経ってもマナはお子ちゃまなんだよ。ひとりじゃなんにも出来やしない」
「そんなことないわよ」
深津は、薫を睨む様に見た。
「あの子はお子ちゃまなんかじゃやないのよ、病気なの。先生に診断されているんだから。発達障害だって」
「そうなんでも病気にするのはどうかと思うよ。それに先生っていったって
健太郎だろう」
健太郎は牧場を経営し、獣医と教員の資格もある。多彩な青年だ。薫も深津も、彼が産まれた時から知っている。
「なによ、健太郎だってちゃんとした学校の先生よ。教員免許を持ってるんだから」
「俺たちだって持ってるよ」
「そりゃそうだけど」
気の抜け様に答え、深津は窓外を眺めた。水平線をオレンジ色の光が色どりはじめた。朝が来るようだ。
「この島、いや、この国では、年齢の高い者が下の子の先生になる。なので国家資格も、余程の者でない限りは全員に与えられ、学校の教員どころか、手術も出来る外科医まで存在するんだから、信用出来ないんだよね」
薫がいう様に、この島は実は独立した国家であった。法律も資格も独自のもので、海外で通用するものではない。詳しいことは物語の最後の方に。
その頃、麻耶は、父親が仕込んでくれた食材と睨めっこしていた。料理は好きで、未就学児の頃から食堂の厨房に入り、父親の隣に椅子を置き、そこに立って料理の真似事をしていた。食堂といっても10人も入ったら満杯という小さな所で、厨房の手前にカウンターテーブルがあり、そこには常連の島民が陣取る。小上がりの座敷にはテレビがあり、四角いテーブルが2個。週に2回、クルーザーが到着する時は、オプショナルツアーを申し込んだ観光客が、店の前の広場でバーベキューをする。その日以外は、客の殆どが島民なので家族も同然だった。問題など起きる筈がないのだ。
「お父さんも、お母さんも勝手なことだよね」
そういいながらも、母親の割烹着に、学校の家庭科で使用する三角巾を装着した麻耶は随分と楽しそうだった。
朝が明けると、旅館を経営している音二郎がやって来た。毎朝、漁をした後、食材を運んで来てくれる。
「いらっしゃい、いちばん乗りだねおじちゃん」
「おや、きょうはお手伝いかい。お魚、裏の冷蔵庫に入ってるからな」
カウンターの内側に立つ麻耶を通り越して、音二郎は奥の方を覗いた。
「だれもいやしないわよ。わたしがきょうは店長なので」
「それは本当かい。親はどこに行ったんだよ」
音二郎はいつもの席に座った。座敷のテレビの前が彼の特等席だ。テーブルの上にあるリモコンを操作し、日本の時代劇を選んだ。ちなみにDVDで鑑賞する。定期的に日本から輸入しているものもあり、リピーターの観光客がお土産に持って来てくれものもあった。
「お出掛けだって。無料の温泉&食事のチケットを貰ったけど、きょうが期限らしくて」
「温泉って、どこだい?」
「櫂くんとこ」
「あーっ、なんか、そんなこといってたな」
麻耶はショーケースから瓶ビールと冷えたグラスを取り出して、音二郎の前に置いた。毎朝、音二郎はビールを2本飲んで、朝飯を食べ、座敷で寝、昼過ぎに帰って行く。
「きょうは鱸を焼くけど、いいの?」
「いいよ、いいよ、マナの手作りならなんでも美味しいよ」
音二郎は麻耶に手招きをし、頭を撫でると作業着のポケットから、グシャグシャの札束を出して、1枚、麻耶に渡した。
「いらない」
麻耶は素っ気なくいうと、札を突っ返した。
「いらないことないだろう」
「使うとこないもん」
「貯めるんだよ。いつか必要になる時が来るかも知れないだろう」
「いつか?」
麻耶が小首を傾げると、音二郎は座敷に横になり、腕枕でテレビを観始めた。
「いつかねえ」
麻耶はひとり言をいいながら厨房に入り、魚を焼いた。魚が焼ける間に、糠漬けを切り、薫が用意した、サーモンといくらの塩辛を小鉢に乗せ、蕎麦を茹でた。
「そういえば、健太郎兄ちゃんもそんなこといってたわね。将来のために貯金するんだよって。お父さんとお母さんは、そんなこといわないのに」
そろそろ魚が焼ける。麻耶はごはんと味噌汁をお椀につぐと、盆に並べはじめた。この店の朝定食は、焼き魚に、刺身、冷奴、小鉢、漬物、ミニ蕎麦に、白御飯と浅利の味噌汁。これで500円とは安い。ちなみにこの島の通貨は円を真似ている。というのも、元々の先祖は日本からの移住者だったからだ。ゆえに言葉も日本語で、名前も日本名なのである。
「お待ちどうさま、音二郎おじちゃん」
膳を持って行くと、音二郎はゆっくりとした動きで起き上がり、箸を持って合掌してから食べ始めた。ちょうどその時、店の扉が開いた。
「よっ、朝ご飯ちょうだい」
健太郎だった。牧場の餌やりを終え、朝食を食べにやって来た。
「きょうはお父さんとお母さんいないよ」
「知ってるよ。さっき道ですれ違った時に聞いた」
手を上げて、音二郎に挨拶をしてから健太郎はカウンターの椅子に腰掛けた。
「キキ(喫茶店)で朝飯を食べようと思って来たんだけど、マナがひとりと聞いたら、こっちに寄ったよ。どうせ学校も休みになったしね」
「なんせ学生がひとりの学校だからな」
「音二郎おじちゃん、お魚が口から飛んでるよ」
麻耶はティッシュの箱を音二郎目掛けて投げた。
「健太郎兄ちゃん、キキに行ったら良かったのよ。わたし料理なんて作りたくないのよ」
「そんなこといわないでよ。朝定食ちょうだい」
「鱸でいい?」
「ああ、いいよ。鮮度が良かったら刺身にもして欲しいなあ」
「おじちゃんも鱸のお刺身ほしいよ」
「はいはい」
麻耶は伝票に追加分を書き加え、手を洗うと料理に取り掛かった。時刻は午前6時をさしている。外はすっかり明るくなり、小鳥のさえずりと波の音が聞こえる。
「そういえばさ、あのお客さん、なんていったかな、ミキさんだっけ。明日、帰るんだよね。きょう辺り来るって」
麻耶は魚焼きグリルの中を、身体を曲げて見ながら聞いた。音二郎と健太郎は目を見合わせたが、麻耶が顔を上げたので、直ぐに視線を他に移した。
「どうだろうね、ミキさん、もう来ないんじゃないの」
冷たい麦茶を口に含んで、健太郎はゆっくり飲み込んだ。
「そんなー。もう少しお話聞かせて欲しかったわ」
「ほら日本に婚約者がいるっていってたし」
「それときょう、この店に顔がだせないのに、どんな関係があるっていうのよ。恋愛の話し、もっと聞きたかったのよ。ミキさん経験豊富だし、それにね。いっそ帰らないで、この島で暮らしたいなあって本気で話していたよ」
「希望と現実は違うんだよ。婚約者も待ってるし」
「婚約者のことは、もういいっていってたもん。金が目当てだからって」
出来上がった定食を、カウンター越しに健太郎に手渡した。
「おお旨そうだな。やっぱりここにして良かった」
「だからキキに行ってたら良かったじゃない」
麻耶はブルブルっと頭を振った。
「そんな話じゃないの。ミキさんがこの店に来ないのはおかしいって話」
「ミキだかキキだかわからねえけどよマナ。俺はもう寝る」
音二郎が寝てから半時間、客が来る様子がなかったので、麻耶は店を健太郎に頼み、ケーキを買いに行くと、喫茶店まで自転車で駆けた。
そういえば、ミキさんはキキのケーキが食べたいっていってた。もしかしたらキキに寄っているのではないか。麻耶はそう考えたのだ。麻耶にはどうしてもミキに会いたい理由があった。道路に面しているキキには駐車場も駐輪場もない。しかし隣接する建物もない。麻耶は自転車を円筒形のツタにい覆われた喫茶店の壁に立てかけた。窓は小さく、曇りガラスなので中の様子は見えない。麻耶はドアノブをそっと下げ、中を覗き見た。
「おはようございます」
小さな声でいった。時刻は午前7時を過ぎていた。モーニングの時間帯なので店は開いている筈だ。しかし店内には誰もおらず、心なしか薄暗かった。
「だれもいませんか?あのう、キキさん?」
キキさんというのはこの店の店主のことである。身体が小さく、いつも毛糸のスカーフを深めに被りドレスを着ていた。
「なんだいマナかい」
ショーケースの奥から急に現れたので、麻耶は驚いて声を上げてしまった。
「お化けでも見るようになんだよ。きょうはケーキはないよ。みんな売っちまったからね」
「えーっまだ朝なのに」
「ケーキを売ったのはお前の親にだよ、食べてないのかい?」
麻耶はふてくされて首をふった。
「きっと無料の券を貰ったお礼に、櫂兄ちゃんにあげるのだと思います」
「そうかい、だったら仕方ないね」
「あの」
奥に引っ込もうとしたキキに声を掛けた。
「もうひとりお客さん、来なかったですか?」
店主は黙って顔を横向けた。
「さあね」
「さあねではなく、来たかどうか聞いているのです」
「来てないね」
キキはそうぶっきらぼうにいうと奥へ引っ込んだ。外へ出た麻耶は胸で大きく息をした。あの店主のことは子供の頃から苦手だった。スカーフで顔は殆ど見えず、いつも愛想がない。しかも子供の頃からきょうまで、ずっとお婆さんだった。
「あのお婆さんが美味しいケーキを造るんだから不思議よね」
自転車で店に引き返す時には、ミキのことをすっかり忘れてしまっていた。昼の、比較的忙しい時間帯を過ぎ、夕方になった。客はいなくなり、夜の仕込みの真似事をしていた。車の音が聞こえる。麻耶は厨房を飛び出し、店の扉を開けた。
「お帰り」
麻耶が思った通り、両親が帰宅したのだ。手には荷物をいっぱい抱えている。
「早かったね」
「マナが心配で、ゆっくりできなかったわよ。誰か来た?」
深津はそういいながら麻耶を通り過ぎ、店へと入って行った。
「音二郎おじちゃんと健太郎兄ちゃんと、詩ちゃんとあと…」
「マナちゃん良くがんばったな」
娘に歩み寄った薫は、まるで久方ぶりの対面かのように娘の頬を両掌で挟み、額をふっつけた。
「うん、みんなが助けてくれたのよ」
いった後に、ああそうだ。と手を叩いた。
「お昼間にね、健太郎兄ちゃんにお店を頼んでキキに行ったのよケーキを買いに。そうしたらさ、ケーキはみんな売り切れだっていうの。お父さんとお母さんが全部、買って行ったって。いいのよ、ケーキは口実で、本当はミキさんを探しに行ったんだけどね」
「そうだな、うん。そうだケーキはお父さんが全部、買ったよ」
薫は急に素っ気ない口振りになり、店へと急いでいるように見えた。
「ミキさんとは会ってないの?」
薫は立ち止まった。そしてそのまま肩で息を吸い込んで店に入った。
夜の営業は、何時に増して忙しかった。薫の態度に憤慨した麻耶は、一時、自分の部屋に閉じこもったが、洗い物だけでも手伝ってくれと再三いわれ、仕方なく店に下りて来た。
「なんだ、マナはご機嫌斜めか」
島で唯一のスーパーとガソリンスタンドを経営している瑛太は、いつものカウンター席で生ビールを飲んでいた。その瑛太を皿洗い中の麻耶は振り向き様にきっと睨んだ。
「瑛太くんごめんね、なんだか知らないんだけど麻耶の機嫌が悪いのよ」
そういって深津は小声で瑛太の耳元に「ケーキを食べられなかったから」と囁いた。瑛太はうんうんとうなずいている。
「ケーキなんてどうでもいいのよ」
囁きが聞こえたようで、麻耶はそう声を張り上げた。
「わたしはミキさんが来なかったことが不思議だと思うの。それに、みんななんか変なんだもの。ミキさんの話しをすると、突然、口を噤むじゃない」
「そんなことないわよ」
深津は削ぎ身にした〆た魚を小鉢に盛っていた。声のトーンは落ちている。
「ミキさんにどうしても聞きたい話の続きがあったのよ」
いった後、麻耶は店の中の人を見渡した。きょうここにいるのは島の者だけだった。みんな、麻耶を見ないでいるが、話しは聞いていた。
「ミキさん、この島の秘密を知ってるっていってたの。日本にある書物を見つけたらしいの、この島の秘密を。その話しを教えてくれるっていってたのよ。だから、きょう絶対にここに来るって」
「マナ、もうよしなさい」
深津は菜箸を置いた。
「いいじゃないか」
そういったのは薫だった。
「あなた」
薫は深津を見た。仄かに微笑みながら。
「マナも、もう知ってもいい年頃だと思うよ」
「いいえ違う」
深津は麻耶の前掛けを外し、自宅に戻るよう促した。麻耶は眉間を寄せた表情で、じっと父親を見ている。
「さあ、行きなさい」
深津に背中を押され、勝手口のドアを閉められた。麻耶は身体を折り曲げ、忍び足で、店の横に行き、窓の下に座ると、大人たちの話しを盗み聞きすることにした。この島にクーラーはないので、一年中、窓は開いている。中の話しは外に筒抜けだ。麻耶は耳を澄ませた。まず最初に口を開いたのは、伊代子ばあちゃんだった。船着き場で入国管理官をしている。
「それで、ミキさんとかいうひとは、行方知れずに」
「ええ」深津の声だった。
「ならいいんだよ、無事に済んだんだね」
どういうこと、ミキさんは行方知れずでそれでいいとは、どういうことなの。麻耶は膝を抱え込んだ。
「とにかくマナには何も言わないで」
深津が薫に頼んでいるようだ。薫の声は聞こえない。その時、勝手口のドアが開き、麻耶は身を縮こめた。雪駄を引き摺りながら歩く音、薫に違いなかった。煙草をくわえ、腕を組んで麻耶を見つめている。口元や目元は微笑んでいた。薫が立つ所は壁だったので、中の人には見えない。
「ミキさんは悩み事が多かったみたいだ。海に飛び込んだかも知れない。その捜索でお母さんと出掛けたのさ」
「無事に済んだって」
麻耶は恐る恐る薫を見上げた。途端、びっくりして尻を着いた。麻耶は父親ではなく、薫の後ろにいる喫茶店キキを見ている。薫も後ろを振り返った。指に挟んでいた煙草を捨て、キキと対峙するように立っている。
「マナは、きっとこの島を沈めるね」
キキはいった。スカーフで顔が見えないが、不気味な様子は昼間と同じだ。
「何をいうんだい」
「この島が沈むということは種族が滅びるということだ。始末しなければ」
そう言い終わらないうちに、キキは駆け出していた。老婆とは思えない俊足で、一瞬のうちに麻耶の前にいた。血管だらけの手は麻耶の首を掴み、握りつぶさんとばかりに締め上げていた。麻耶の意識は消えた。
「さあ、はじめての店番、お願いするわよ」
「お任せくだされ」
スーパーに買い出しに行く深津を、麻耶は笑顔で見送っていた。
そして店の中に戻ると、父親の遺影に水を供え、手を合わせた。
「お父さん、麻耶ははじめて店番します」
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